見出し画像

振り返ってみれば、足りないものなんかなにもなかった

夏の初めにした旅行があまりに楽しかったものだから、なんとなく、これまでの人生の「楽しかった思い出」に焦点を当て、振り返ってみた。

その時々で、大なり小なりいろんなものを抱えていたはずなのに、振り返ってみれば、どの時代の自分も不思議と輝いて見えるのだった。

例えば湿気でうねる前髪ばかり気にしていた中学時代。思春期特有の自意識過剰にもれなく陥っていたあの頃のわたしはコンプレックスの塊で、自分のことが嫌で嫌で仕方なかった。

だけど、クラブの試合後にコンビニ前で集まって、延々はしゃいだあの日々が眩しい。成績だって悪くなかった。得意なことだってたくさんあった。今のあなたには可能性しかないのに、そんなに自分を嫌いにならなくたっていいよって言ってあげたい。

高校生のときだってそう。派手なメイクと服装で自信のなさを隠していたけどそのままだってかわいいよ。

刹那的な享楽ばかりを追いかけた20代。正直、もうちょっと将来のことを考えて堅実に生きていればよかったなあと後悔したこともあるけれど、あの怒濤の日々は、あの時のわたしでしかありえないから、遊びたいだけ遊びきってくれてありがとう。

コロナ禍以降の数年は、あまりパッとしない毎日を過ごしているような気がしてた。

だけど、角度を変えて眺めてみると、幼い子の小さく湿った手の柔らかさや汗のにおい、家族と過ごした何気ない日常が鮮やかに浮かび上がって、それはもう間違いなく人生の宝物の日々だった。

ずっと焦っていた。仕事もプライベートも充実させているように見える誰かと比べ、何者にもなれないままで、年齢だけ重ねていく自分を卑下した。

だけど、あたらめて「楽しかった思い出」に焦点を当てて振り返ってみれば感謝の気持ちが湧いてきて、後から後から涙が溢れる。

お金も知識も人望も、何もかも足りてない気がしてたけど、だからこそ見える景色があって、感情があった。

どの時代のどのわたしにも、足りないものなんかなにもなかった。その時々の、それぞれの状態で完璧だった。

自分が、自分のことを好きでさえいれたら良かった。

今日の日のわたしだって、きっと輝いて見えるだろう。手の中にあるものをしっかりと見て、そしたらほら、足りないものなんかなんにもないでしょうと、目を細め、未来のわたしは言うだろう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?