4真に賢く

アドボカタス 『真に賢く、本物の仲間がいる者』

『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 4~

ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。


「私が何をしたの?」
アキオはオフィスを出るなり、拳を握り唇を噛みしめた。あまりに強く噛みしめたせいで、口に血の味が滲む。
初めてのことではない。これまでだってずっと、同じように気持ち悪がれてきたし、同じ極を近づけた磁石みたいに遠ざけられてきた。
幼少期はもっとひどかった。遠慮も加減も知らない言葉のナイフに晒され、鋭利な光が一線を越えさせることもあった。嫌悪にストッパーはなかった。踊り場で肩を突かれ、階下まで転がり落ちたこともある。腰掛けた机を不意に後ろからひっくり返されたこともあれば、机に座る足を引かれ、尾てい骨を教室の床にしこたま打ちつけたこともある。
痛みは、外側と内側から心臓を容赦なく締め上げた。

こんなだから入院騒ぎになることもあって、病室でひとり天を仰ぎながら、腰に走る激痛と絞られるような心臓の痛みとに挟まれ、そのまま押し潰されて消滅してしまえばいいのに、と考えたこともある。

物心がついた時には人形に興味を持ち、やがて化粧をするようになる。スカートが羨ましく思え、座ってすることに安堵した。
「心が求めているのに、どうしてまわりは認めてくれないの?」

中学に上がると隠すことを覚えた。違う自分を装っていれば傷つくことはない。私を俺に置き換え、虚勢を張った歩き方をした。
だけど、本心を欺き続けることはできない。
ある時、同級生の男子に追い抜かれざま鞄でお尻をばしんと叩かれた。
「きゃっ」
あげた悲鳴に、その場のみんなが凍りついた。
「こいつ、女じゃね?」
ひとりが口にすると、疑いが伝播する。
「確かめて見ようぜ」
非道はエスカレートする。アキオは見る間に剥かれていく。降ろされそうなパンツをひとえのところで必死に食い止めていたが、多勢に無勢は抗いをいともあっさり奪い取る。
ペロンと剥き出された下腹部に視線が集まる。
「や」
赤面が隠したのは、下腹部ではなく顔だった。
現実を直視しなければ、耐えられるかもしれないと思った。隠さなければならないところを無理に隠そうとすると、抵抗以上の恥辱で返されそうで、怖くてできなかった。
「なんだ、ついてるんじゃないか」
何人かいた同級生は、申し合わせたように消えていった。
アキオは、このまま体が透けていき消えてしまえばいいのに、と切に思った。

仕事に就けば状況は変わると考えていたが甘かった。世間ではLGBTマイノリティの認知を訴えてはいたけれど、声が上がるということは、現実には認知が遅れていることの証にほかならない。アキオが勤める企画制作会社でも社員からの風当たりは強かった。
法の動きもあって表だっては仕掛けてこない。

「この企画、よくできているじゃないか」
部長の目に留まり進みかけたアキオの案件が、トイレ休憩のわずかの間に、まとめた原本をゴミ箱に捨てられていたこともあった。企画書の裏には、アキオを模したわい雑な線画が描かれていた。
ふんっと踏ん張る自分もいる。自分が負ければ、社会と戦っている会ったこともない頼もしい仲間たちに合わせる顔がなくなる、そう思って奮起するのだ。
くじけそうになるアキオを部長が支えてくれていることもある。部長は奥さんも子どももいる、いわゆるノーマルで、そっちの方面で力になってくれているわけではない。芯の太い骨子ときめの細かな細部の仕上げの融合、そんな仕事を認めてくれているのだ。
部長は、見た目や嗜好で人を色眼鏡で見ることはしなかった。障害者雇用にも積極的で、会社が採用した四肢障害者と精神的障害者の配属にも真っ先に手をあげた。
そんな部長のもとで働けることはなによりの財産に思えたし、部長のためならもっといい仕事に仕上げたいとも本気で思っていた。

だけど、人とは嫉妬の生き物で、アキオがいい仕事をし成果を出せば出すほど風当たりが強くなっていく。

ある時、事実無根の写真をばら撒かれた。写真は切れ長の目をした細身の男(裸)に抱きつく裸のアキオだった。裏には「売り専で男を買うアキオ」と印字されている。風紀に気を遣い不祥事には敏感な客(クライアント)商売である。それが悪意のコラージュでも、波風に目くじらをたてる者はいる。直属の部長を飛び越えて総務部から「どういうことだね?」と尋ねられるまで、そう時間はかからなかった。
総務部から痩身に似あわず無機質だけど偉そうな靴音を響かせて制作部に乗り込んできた係長は、ひととおりアキオの話を聞いてから「どうするつもりだ?」と眼鏡の端を光らせて切り出した。
部長は「何かの間違いだよ」とかばってくれたけど、証拠を突きつけられると写真から目を背けてしまった。総務部人事課の係長は、「どういうことだね?」とアキオの事情に寄り添うふりをしながら、腹では「辞めてくれないか」と言っているのがわかった。
「辞めます、と言ってほしいんですか?」
アキオは腹に力をこめ、係長を睨んだ。
だめだよ、それ以上言っちゃ。
喉まであがってきたアキオの言葉を読んだreaderは、願いを謳って思いとどまらせる。
悪意は人の善意を見る間に蹴落とす。悪意は瞬時に信用をくじく。積み上げるのに難儀で時間がかかる信用を、トンビがランチを掠めとるみたいに瞬きの間に奪い去る。

ヤケになって言い放てば、悪意の思う壺だ。
冷静に、悪意の意図を考えてみることよ、とreaderは謳う。あなたがいつも意識している「冷静に考えて実行に移す」を今こそ思い出して実行に移すのよ。
そう、その調子。あなたは冷静に考え始めた。
悪意の意図、それは仕掛けた者が優位に立つこと。自力で勝ち取る優位ではない。蹴落とすことで優位を錯覚するんだ。
だがそれは真の優位ではない。偽装でしかない。

そうよ、その調子。

ずる賢い者は、自分の都合のいい虚構をじょうずに見せかけるのに長けているの。巧みなトリックに欺かれる者もたくさんいるでしょう。
だけど、真に賢い者と、本物の仲間がいる者には通用しない。

「部長、私はこんなことしていません」、毅然とした態度でアキオが部長に進言した。
部長は、顔を苦くしてコクリとうなずいてから立ち上がり、ブラインド横の開閉スイッチボックスに手を伸ばした。それから箱の脇に貼りつけてあったダブルクリップほどの箱をはずし手のひらに乗せて、静かに言った。
「最近、不審なことが頻発しているから用心にと秘書課が密かに配っていたものだ。盗難対策用だったんだが、やった者が映像に残されているはずだ。その人に直接訊いてみることにしよう」

部屋の奥の席で、アキオと同期入社の女性社員が顔を青くした。

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。