見出し画像

会い続ける人と、会わなくなる人の違い

 先日、高校時代の親友と1年ぶりに再会した。ファミレスで近況を報告し合い、本屋でお互いのおすすめを話して、散歩をした。お互い気負うことも飾ることも必要ない、自然にいられる間柄。顔を見ると、ちょっぴり照れくさい。笑顔を見ると、安心する。
 思えば、彼女とはもう10年以上の付き合いだ。最初は単なるクラスメイトで、部活も違えば進路も違った。共通の友人も一人もいなかった。それが些細なきっかけで仲良くなり、行事や受験を乗り越えて、別々の道に進んで、それでも付き合いが今日まで続いている。

 思えば学生時代の私には、色々悩みがちだった割には友人が大勢いた。しかし、今でも定期的に交流があるのはその中でもごく僅かだ。親友と会って別れた後の帰り道、ふとその謎について考えた。何が人を繋げ、何が人を遠ざけるのか。
 そこで思い出されたのが、大学時代の親友である。彼女とは大学広報に関わるサークルで知り合った。ふんわりした雰囲気で、淡いピンクと白が似合う、笑顔の素敵な女の子。かたやオオカミやら姐さんやら言われている当時の私は、彼女を見るとイライラした。
「あのゆるふわピンク野郎め…いけ好かない女だぜ…」
一方、彼女も彼女で私とは絶対に気が合わないと思っていたらしい。それがいつしか親友となっていた。周りからは「相棒」と呼ばれ、ヲタク気質の後輩からカップリングにされたこともあった。しかし、卒業してから私は、彼女と一度も再会していない。正直、会いたいと思わない。なぜなら、彼女と私をつないでいたのは、お互いの身に迫る危機的状況だったからだ。
 サークルの圧倒的カリスマが引退。まとまりがなくなるのは目に見えていた。しかもカリスマが圧倒的トップダウン型のパワフルな人だったせいで、メンバーの殆どがとにかく受け身で動きが鈍い。大学と仕事をするという真面目な性質のサークルである以上、このままだと大学に大変な迷惑をかけてしまう。そんなときに彼女と私が、サークル運営の中心メンバーに推挙されてしまったのである。お互い、正反対の人間であることは明らかだった。それでも、助け合わなくてはこの危機を乗り越えられないことも分かっていた。苦難を共に乗り越えるうち、絆が生まれ、太くなった。いつのまにか、常に一緒にいた。その時間は、確かに楽しかった。
 けれども、私も彼女も人が変わったわけではない。彼女はふんわりおっとりしているし、私はツンツンとがってせかせかしている。だからお互いその違いに気を遣いながら協力する必要があった。しかし、お互いが感じている違和感は、忙しい日々や立ちはだかる試練によって忘れられていた。そして平和な日々が訪れたとき、二人はせわしない夢から醒め、改めて気を遣う必要性に気付いた。そのときお互いに、相手に掛ける労力が一気に惜しくなったのだと思う。

 一方、今でも会う友人は本当に気が合う。時間の流れ方と過ごし方、そして物事の捉え方が似ているのだ。おそらくそこが違う人とは必要な時だけ繋がって、後は別れる運命なのかもしれない。
 そして、それが真実ならば、人との出会いや別れの一つ一つをもっと大切にしよう。付き合いが永くなろうが、ほんの一瞬であろうが、出会った人に必要とされた時間を味わい深いものにしたい。もし、それが叶えば、その時間が過ぎ去ったあともお互いを永く支えてくれるはずだ。私は味わい深い時間を過ごさせてくれた二人を想い、暖かい気持ちで家に帰った。

お読みいただきありがとうございました。頂いたご支援は執筆作業に行くカフェのコーヒー代として大切に使わせていただきます。