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『時をかけるゆとり』 朝井リョウ 著 / ゆとりの脈絡のない荒唐無稽の妙

評判では、「腹をかかえて大爆笑するので、外で読むと笑いをこらえるのが大変で、困ったことになる」とのことだった。

単行本出版時の題名は『学生時代にやらなくていい20のこと』。文庫化された際に、その後の社会人になってからのこと等を加えて改題された。原題のとおり、著者の学生時代のことが20のテーマで書かれている。


最近、エッセイを書くのであれば、他人のものを真面目に読んでみようと思って、図書館でエッセイをたくさん借りている。その中の一冊がこの本だった。ネットで「エッセイ おもしろい」(安易…)で検索したら出てきた本。

題名の『時をかけるゆとり』は『時をかける少女』からだろうな。他に『風と共にゆとりぬ』という本もある(「ゆとりぬ」って何だ…)。『時をかけるゆとり』は著者の最初のエッセイ集で、著者が戦後最年少で直木賞を受賞した後の、20代半ばくらいに書かれたもの。

さて、読んでみて…
私は、クスッとした程度で、思いのほか爆笑しなかった。何でだろう??
それで、そんな自分について考えるという、ヘンな一人反省会をやった。その検証結果は以下のとおり。

一つの理由は、著者と私がけっこう似たようなことをやっていたからかもしれない。普通の人からすると荒唐無稽だったり、滑稽だったりするバカなことを、私も真剣にやっていので、その青さを笑えない。

それと、もしかして私と合わないのは、彼らの「ゆとり」と呼ばれている部分なのかもしれないと、目次を見ていて、今ふと思い当たった。

私らの世代って、意味だったり積み上げだったり努力だったりを、物ごとの中に見出そうとする。何というか、やっていることに自分なりの連続性があった。

それが、著者も似たようなことをしているのだが、文脈が見いだせない。唐突に思いついて、唐突にやっているように見える。その結果についてどう、ということもない様子。文脈のなさに、手ごたえが得られない。

また、「自虐的」という言葉で言われるのだろうが、著者は時々繊細な気づきを書いているのだが、自らそれを茶化して壊してしまう。それは「自分を貶めようと見せかけて、結局偶然を装ってリア充を見せつけるという、私の最も嫌うSNS上のやり口」のような捉え方になるらしい。多分に照れもあるのだとは思うが。

文体が軽いわけではないのだが、どうも何かがしっくりこない。おそらくこの荒唐無稽のあり方は、今の世代には絶妙な面白さなのだろう。
若い世代の「あるある」感に共感できていないのは自分に何か重大な原因があるのかもしれないと考えるあたりに、すでに根本的な世代間ギャップがあるのかもしれない。う~ん。

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Ⓒ青海 陽
書籍名:『時をかけるゆとり』 朝井リョウ 文春文庫 2014


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