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本『孤独のチカラ』齋藤孝

前に読んだ彼の本『五十歳からの孤独入門』のある部分は強烈な印象を残した。
乱暴に言うと、「中年以上の男は、年長だったり職位が高くなったりで一見敬われるけど、けっして勘違いするな。中年以上のジジイに需要があるはずはないのだから。でないとイタいジジイと呼ばれる」と読めた。

この言葉は中高年の気持ちをえぐる。
でも、多くのハラスメントの背景を確かに言い当てている。
また、世の中には新陳代謝が必要で、古い世代は同じ次元で競るのではなく、卑下するのでもなく、次を育てるために譲りたい。

今回読んだこの本でも、中高年の気持ちの持ちようが語られていた。
老いと死が見えてきた中年期以降の孤独との付き合いでは、生と死の折り合いの付け方の覚悟を培うこと。年齢に応じて人生や夢との折り合いの付け方を変えないと、夢を実現できなかった人としていつまでも自己否定してしまうという。

また、孤独を掘り下げていくとかなりのエネルギーの備蓄ができるが、老いの孤独が忍び寄る四十、五十を過ぎてから孤独を掘っていくと、「そのまま永久に精神が地中に埋まってしまいかねない」という。

孤独は若いうちからやっておかなければいけないことなのだ。
 

この本は若い人、特に高校生、大学生に向けた気持ちで書いたのだろう。「孤独を恐れるな」と繰り返し伝えている。
現在の彼の仕事を支えている気力や意欲は、孤独で培われたものであるという。その孤独の十数年は、自分が求められなかったことへの怨念として残り、二度と思い出したくないものだ。しかし幅広い分野の先人を子細に見ると、孤独こそが糧になっていることがわかる。だから、若者は人付き合いを断ってでも、孤独でいる方が良いと勧めている。

彼は孤独を「単独者」という言葉でも表している。
例えば登山では、チームで登っていたとしても、登山家は基本的に単独者である必要がある。自らの力を頼り、また頼れるように、自らを高め続けていなければならない。自らを高めるためには、自分と孤独に向き合うしかない。どんなものであっても、技を高めるのは個人の作業に他ならないから。

そして、孤独を掘り下げた先には、先人の芸術や著作を通じて感じることができる孤独がある。そうやって「彼らと深い地下水脈で交流することができる」という。地下水脈に近づくためには、「一人で掘ると浅くしか掘れない。先人の書いたものを使えば「ドリル並み」に掘れ、導いてくれる。だから先人の言葉に深く触れ、感じるように」と勧めている。


著者は、これらの話を、机上の精神論や一般論を引いて語ってはいない。彼が舐めてきた二度と思い出したくない辛酸の時間と、もがいたありさま、その中で辛うじてつかんだことを、後に続く人のために伝えようとしているのだ。


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文:©青海 陽 2020 
書籍:『孤独のチカラ』齋藤孝 新潮社 2010

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