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元心理学生より

(初めて「日々のこと」を記そうと思う。
「日々のこと」では基本的に終止形を用いて書き留めていくので、「これまでのこと」と文体が変わるがご了承いただきたい)

私は大学時代、心理学を専攻していた。
他人にそれを言えば、十中八九「やばい、心読まれちゃう!」と返されるが、当然そんなことは出来ない。

心理学とは、簡単にいえば「統計学」である。
実験を行い、数値を分析・計算し、はじき出した結論を過去の文献と照らし合わせて自分なりの解を出す、ただこれだけのことである。
当然、よく耳にするアドラーなどの有名な心理学者が至った境地はそんな簡単なものではないが、大学で勉強する内容などはたかがその程度であり、4年間をほぼ表計算ソフトと一心同体で過ごす。
大学院に足を踏み入れた優秀な生徒を除き、人の心を読める人間など4年制大学の心理学生には存在しない。

ただ、心理学科に所属していると興味深いことを学べた。

①カウンセリングとは話すことではなく話させること
②許容できる人間の幅が広がること
③心理学生は大体病んでいること

以上3点。学問的なことは学ぼうと思えば本を読めば学べるので割愛する。
①については少々学問的であるが、今尚この発想が頭の片隅にあるのとないのとでは大きく生き方が変わってくるなと感じるので記述する。
カウンセリングでは、結局カウンセラーからなにか答えを出してあげる、アドバイスをするということはしない。「患者に自分で気付かせる」ということである。心療内科の医師は患者の「今」にあくまで病名をつけるが解決策は出さない。ここまでは多くの人が知っていることだと思う。
これを日常生活に活かすことができる。例えば仕事。
顧客に対し、なかなか出さない本音を根気強く聞き出すことができる。心理学的なアプローチによって会話のパターンや仕草によって自身が発する次の一手を考え、放つ。当然、対局が封じ手で終わることもあるが、次の対局までに一晩考える余裕も生まれる。
そして、これはつまり、「相手をコントロールする」こともできる。
悪用は厳禁だが、自分の発言の仕方によって相手の次の発言を操ることもできるわけで、それが目的でなくても、基本的に相手の次の発言を何パターンか予測して言葉を発しているため、会話が楽だ。
しかしこれはいわゆる「職業病」のようなもので、これを意識的に実践しようとするとおそらく生きづらくなるのでおすすめしない。

②については、学問として色々な人間の感情の傾向やパターンを学ぶため、他人に対してある程度理解できる範囲が広がる。
「まあ、こういう奴もいるよね」から入れるので、人に優しくできる。(多様性の時代に心理学は有効!)
ただ、「理解はできるけど受け入れられない領域」はもちろんある。人の好き嫌いという言葉では到底説明することができない「相性」という聖域は、心理学では量れない。

そして③についてだが、これが一番興味深かった。
冷静に考えれば当然のことだが、心理学を勉強したいと思う人は、結構な確率でどこか病んでいる。変な奴も多い。まともな人を尊敬している。
シンプルに話していてこいつネガティブだな、とか、卑屈だな、とか、メンヘラだな、という人がたくさんいた。
変な奴、でいうと、「官能小説を愛読しているうちに活字でしか性的興奮を感じなくなった奴」とか、「自分では謙遜しているつもりでもよく聞くと随所に自慢が滲み出ている割に、高校生の時に教師に告白して高校を卒業したと同時に付き合ったという箸にも棒にもかからない話を聞かせる、結局のところ人からどう思われたいのか全くわからない奴」とか、今考えるととても楽しい環境にいた。同級生といるだけでも②は培われたと思う。

ここまで読んでいただいた方には、約1,500字お付き合いいただき大変感謝している。
長々と自身の経験を記し、自身も変な奴に該当することが露呈したところで、最後に私個人の結論を纏める。

結論:カウンセラーは当てにならない。自分でなんとかできるようになるべき。


※先述の全てはあくまで私個人の経験と哲学のみに基づくものであり、一般論ではございませんので悪しからず。

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