じぶんにはいろいろな側面・性格があるのが普通【心理学】
今、noteでどういった発想法とか、思考方法があるかっていうのをざっと出してみているのですが、ロジカルシンキングだとかデザイン思考だとかシステム思考とか、いろいろあるんですよね。
ナラティブシンキングとか物語思考、フューチャリスティックシンキングとかもあって、結構面白いのでぜひ読んで見てください。
心理士的な思考って何かなっていうのを考えてまして、前にエビデンスベースドプラクティスの発想についてお話したかなという風に思うんですが、それだけではないんですよね。
そもそも今私が考えていることって心理士の発想なのか、医療者の発想なのか、研究者の発想なのか、それともあおきの発想なのか、わかんなくなることがあって、自分を形作ってるものっていうのが何らかありそうだなと思います。
岩野さんからは「福祉的な考えだよね」って言われるんですけど、福祉的な考えであるっていう感覚は私には全くないんですが、言われれば福祉なのかなとかって思いますしね。
福祉的な価値観に立つと、いろいろなものがまた見えてくるんだなと思います。でも教育的な発想なのかなって思ったりもします。
あおきの見方はかなり多面的であるので、見方が分かりづらいなと思うこともあるんですよね。毎日ブログやYouTubeで話してると、この人こういう人なんだなって理解されるんだろうなと思うので、こうやって毎日話してるんですけどね。
でも、パーソナリティ(性格)には色々な側面がありますからね。
2週間ぐらい経つと行動パターンが若干変わってたりするっていうのがあったんだっけ?自分の性格って何なんだろうかなって思うとなかなか難しいですよね。
「ビッグファイブ」みたいな性格特性で、「あおきさんは開放性高めですね」と言われたとしても「そうなの?」みたいな感じで思ったりします。
「神経症傾向高めですよね」とか言われたりもして、そうなのか~と思ったりします。
やっぱり見てる側面によって、その人が自分を捉える目っていうのは人によって全然違うなと思いますね。
これはでも、一貫してないってわけではなくて、状況や文脈、場面場面で出す自分があって、それだけ引き出しがあるからそうするんですけど、やっぱりそうすると「自分ってどれが自分なんだろうか?」みたいな感じにはなりますよね。
だから、本当の自分って何だろうって考え出すと、全部本当だしなって思うんですけどね。
でも、人間の本性としては、一つの自分が形成されてるとか、軸がある自分みたいな感じがしっくりくるんですよね。
心理学的考えてみるとには、複数の自分があると、一貫しないとか、曖昧さが嫌がられるので、0か100で語れた方が理解とか納得感的にはいいんでしょう。
ただ、実際にはそういう自分じゃないというか、全部本当の自分だというところがあるのかなと思いながら、自分の中で「自分はこういうやつだ」みたいなものがあったりして、そこからずれた自分が出てくると「ちょっと違うよな」みたいな感じでメンタルに影響したりすることってあるんだろうなと思います。
自己複雑性、いろんな自分があって、それと一致して生きてるんだって分かって生活すると楽なんだろうなと思いますが、理想的な自分がいて、その理想と不一致が起こると、やっぱり嫌だなって思いますし、できなかった自分に苦しいと感じることもあると思います。
理想的な自分と一致してないと、不安が起こって「行動しない方がいいかな」となったりもします。
スキーマの領域合致仮説、自分が大事にしていることに対しての評価が得られると人は嬉しくなるけれど、それが出来事と照らし合わせて自分にマッチしなかったり、達成できなかった時とか、対人関係の領域でのスキーマを持つ人だと関係の領域で大事にしていることに不一致が起こると不適応的になったりするわけです。
本当の自分っていうのは複数あるはずなんですよ。
かなり人間として成熟してる人っていうのは一貫してるように見えます、外から見ると。でも、その人にしてみたら「こういう自分もあるし」っていう感じで、理想的な部分だけを見せてるだけかもしれない。
例えば、歌手の人に対して憧れを持って「こういう人だ」って見てるけれども、それも理想的な像としてこちらが作り上げていて、それを提供しているという意味もあるかもしれないので、その人っていうのはいろんな側面があるよなって思います。
結論としては、いろんな側面があっていいんだと思います。
それでは、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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