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美人だと言われて嬉しかった話。

たわいもない雑談の合間に
「美人コンテストに出てみたら?」
と夫がふいに言うので私は耳を疑った。
(いま開催しているコンテストがあるらしい)

「それは〇〇さん(私は夫のことをさん付けで呼ぶ)的に、自分的ベスト推しが私という事でよろしいのですか?」
「まぁそうだね」
の返しを必死で頭の中にメモする。
「絶世の美人というわけではないけれどね」
のくだりを何回も言うので
「そこはもう聞いたよ(笑)突っ込み待ちかよ」
とちゃちゃをいれつつも、夫がそんな風に私を思ってくれていたことが素直に嬉しかった。

世の中には謙遜して身内を「愚妻」だとけなす人もいるが、自分の品位を落とすだけだと思う。
好きな人には、自分もその人の一番でありたい。
結婚したら、自分を可愛いと堂々と言ってもいいのは夫しかいないのだ。
いや、ほかの人に言われてももちろんいいのだけど自分が選んだ人に言われるのが一番うれしい。

気付いているかどうかしらないけれど
私が髪を巻いたりワンピースを買ったり、部屋着を可愛くしてみたり、洗顔の時に巻くターバンでさえ拘るのは、あなたに可愛いと言ってもらいたいからなんだよ。
でも、すっぴんでもジャージを着ていても、可愛いと言ってくれるあなたがとても好きなのだけど。

誰に認められなくても、私の一番大事な人が私を認めてくれていたら私はもうそれでもいいなと思った。

配偶者は唯一自分が選べる家族、という言葉を最近見た。
私の選択がいつも私にとって心地よいものであるように、お互いに褒めあうことは大事だとつくづく思う。
「かっこいい!」
「可愛いね」
と言い合うと
「そんな相手と一緒にいれる自分って幸せ」
と思える。

そして思ったらちゃんと言葉で言う。
言わないと伝わらないから何度も言葉にする。
毎日の習慣と言ってもいいくらいだ。
言わなくても行動でわかるでしょ、では伝わっているかどうかわからない。
伝わるまで、受け取るまで、繰り返しあなたが大切だと、愛しているという。自分の大事な人が、自分を大事に出来るように。

改めて、夫がくれた言葉のひとつひとつが私の自信を作っていっているなと思う。
一番の味方で逃げ場所を作ってくれる人。

「君を大丈夫にしたいんじゃない、君にとっての大丈夫になりたい」
という歌詞の意味がすごくわかる。
私にとっての「大丈夫」はきっと、夫だと思う。




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