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古瀬正也さんに『聴くということ The Art of Listenig』の読後感をきく会 2/23(祝)開催

挫折の達人

みなさん、こんにちは。ファシリテーターの青木マーキーです。家族会議から国際会議まで、あらゆるジャンルの会議を進行するという仕事がら、たくさん本を買うのですが、結局のところ最後まで読み切れず挫折する、というのを繰り返しています(汗)。
老眼が進んできたこともあって、かつて月に50冊ほど読めていた本も、読めるペースが落ちてきました。ま、これも「大事な本だけをじっくり読みましょう」というお告げだと思うようにして、乗り越えてみようかな、と。ただ、仕事がら「この本はちゃんと読んでおかないとなぁ」という肝になるような本もあって、でも、その本がちょいと難解で歯が立たないって、こともあるわけですね。今回、手にして、今朝読み始めたこの本なんか、まさにそうです。エーリッヒ・フロムさんの『聴くということ The Art of Listinig』。


最後のセミナーとかいう文言に、ちょっと弱い私。フロムのメッセージを受け取っておきたい

会議ファシリテーターとして仕事をする上でも「聴く」がもっとも重要なポイントで、ここを逃すと、どんな技法を使っても、大事なことを全部取りこぼしてしまう、みたいなところがあります。

生き様がカッコイイ


エーリッヒ・フロムさんって、どんな人か、あまりご存じない方もいるでしょうが、この本の「はじめに」にあたる編者序文を読むだけで、その人柄が浮かび上がってきます。1ページ目はこんな風にはじまります。



エーリッヒ・フロムは、セラピストとして多くの人にその名を知られた。実際、フロムは五十年以上も精神分析を実践していたのである。そのうち四十年以上、ニューヨークやメキシコの精神分析家養成機関においては、教師として、スーパーヴァイザーとして、また大学講師として活躍した。フロムと精神分析の作業に係わった人は誰しも、その並外れた共感能力、親密さ、そして他者とのストレートな関わりに触れることができたが、それだけでなく、その真理探究者としての厳しさ、忌憚なき批評を浴びせる同僚としての一面をも垣間見ることができた。

「聴くということ」の編者序文 1ページ目より

なんか、すごいですねぇ。人となりが伝わってきます。完全に僕の好みのタイプ。で、このあとに続く文章もとってもよくって、「フロムのセラピーの特徴は、冗長な理論や抽象概念にあるのではないし、鑑別診断によって「患者の人格」を「陵辱(レイプ)」するところにあるのではない。そうではなく人間の基本的問題を、個別に、それぞれ独自のものとして見て取る能力こそが、フロムの特徴なのである」(4ページ)と続くのです。いえい!なんかいい感じ! こういうところから、「聴く」を学びたいぞー、とモチベーションが高まったところで、目次を見ると愕然とするのですよ。はい。これ。香りがしませんか? そう挫折の香りが、プンプンとしてくる、、、orz…

この目次を見て、うーん難しそうとうなってしまう私。そもそもフロイトでつまづいているのか

そこで、ファシリテーター仲間のまーぼーこと古瀬正也さんに再びお願いして、この本を読んだあとの読後感について語っていただくことにしました。自分で読めそうにない本は、「読める人に読んで語ってもらう」方式で乗り越えてみようと思います。

まぁ、僕も頑張って当日までに少しでも読み進めてみようと思います。挫折の達人の方も、読み込んだ強者も「話しが面白そうだったら手にとって見ようかなー」と検討中の方も、いっしょに学べる場になればと思います。


トーク担当:古瀬正也さんからのメッセージ


今年最初に買った本が、この本でした。本屋で見つけた時は、「フロムってこんな本も出してたんだ!」と驚き、ぱらぱらめくり、死後に発刊された本だと判明。ファシリテーターを生業にしている僕にとって、「聴く」は避けて通れないテーマ。無視できませんでした。
気が早い僕は、序文も飛ばし、最も気になるところから読みはじめました。それは、本書の最終章の『精神分析的「技術」——あるいは耳を傾けるという技』でした。章と言っても、実は、たった三ページしかない短いテクスト。でも、この文章は「一九八〇年の死の直前に書かれたもの」で「一九七四年のセミナーの一部を公刊する際の導入部分として書かれたもの」だったので、今思えば、そこから読んでしまったのも必然だったのかもしれません。
そこには、こう書かれてありました。『技法的なものは、機械的なもの、生きていないものを扱う規則に適用されてきた。それに対して、生きているものを扱うのに適切な言葉は「技」である』と。「聴く」の「技法的なもの」に嫌気がさしていた僕にとって、この言葉にはガツン!ときました。
そのあとも、ぱらぱら読みを続け、ピンときた小見出しを見つけては、点々と読む。そういう読み方を繰り返してました。そして、これが驚くことに、どこを読んでも面白いのです。

例えば、次の一文。

『私が言っているのは、あなたがリンゴの木ならよいリンゴの木になるでしょうし、あなたがイチゴならよいイチゴになるでしょう、ということです。(...)誰もが、さまざまな形で、自分自身の実質というものを持っていて、それは特殊なものであるとすら言えます。同じ人はいないのです。』(p125-126)

わかりやすい言葉にも関わらず、ここにフロムの哲学と思想が詰まっているのを感じます。

他にも、こんな一文。

『分析者のパーソナリティがどのようなものであるかは、大変重要です。つまり、分析者がよき同行者であるかどうか、よき山岳ガイドと同じような働きをすることができるかどうかということです。よき山岳ガイドは、お客をかついで登ったりしません。ときどき「こっちの道のほうがいいですよ」と言ったり、ちょっと押してあげたりするだけです。』(p62)

これまた比喩が素晴らしい。僕には、この言葉はファシリテーターとしての大切なあり方にも見えてきます。

こんな具合で、フロムの言葉は、その専門分野を超え出る。いつの間にか読者の関心と密かに手を結び、読者の現場に役立つ知恵を与えてくれる。そんな気がするのです。

まだ僕も読み切れていませんが、じっくりフロムの声に耳を傾け、たっぷりその思想を味わってみたいと思います。すべて読んだあと、いったいどんな「読後感」が待っているのか。ありのままの「読後感」をお伝えできたらと思います。

ファシリテーターであり探究家でもあり読書家でもあるまーぼーの話は聞きやすい


まーぼーは、以前、南方熊楠の書いた熊楠マンダラの読み解きについて、お話ししてくれて、それがとても情熱的で、わかりやすく、自分のなかに入ってくるものがあったので、とても助かった。なので、今回も着たいです。

開催チームが心強い

今回の開催を支えてくださるチームは新年早々「社会的処方 読書会」をやってくれたファシリテーター仲間のうらりん、なおさん、まりたち。信頼できる仲間が万全のバックアップをしてくれます。いやぁ、また一緒にやれてうれしいなぁ。

というわけで、  #気になる本はみんなで読もう  の続きをやりながら、ファシリテーターとしての学びを深めていこうと思います。ご一緒できる方は、どなたもどうぞ、お気軽にお申し込み下さい。

開催概要はこちら

■日時:2024年2月23日(祝)10:00-12:00 
    →終了後、希望者で15分ほどのおしゃべりタイムあり
■開催方法:Zoomでのオンライン開催
    →後日、アーカイブ配信あり
■参加費:3,000円
  ※売り上げの20%を能登半島地震への復興活動に寄付させていただきます
■プログラム:
1,ようこそ&よろしくの時間 2,まーぼーから読後感トーク 3,感想&質問タイム あたりを予定しています。2がメインです。1と3の時間は顔出し・声出し参加推奨となりますが、事情のある方は「耳だけ参加」もOKです。
※今回の開催方法は「書籍は読んできても、こなくてもOK」「本を手元に持ってなくてもOK」というお気軽開催です。専門書で値段も高いのでお話しをきいてから買いたくなった人が買う、でいいかな、と。

■お申し込みは?:以下のフォームにご記入下さい。

返信メールで届く振込先に参加費の入金をお願いします。入金が確認できた方に、当日のZoomリンクあるいは後日アーカイブリンクをお届けします。皆様のお申し込みを心よりお待ちしています。


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