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アイスブレイクは本当に必要か /ファシリテーション 一日一話 その2

著作に「アイスブレイク・ベスト50」というのがあって、おかげさまでこれが10刷りを迎えた。1冊の本が増刷を重ねるのは、誠に喜ばしいことだ。今回の仙台の仕事は、この増刷をきっかけに、久しぶりに「アイスブレイク100連発!」をやってもいいかな、と思って投稿したSNSがきっかけで実現した。これらの投稿を見つけてすぐさま企画し、場をつくり満席を超える参加者を集めてくださった仙台の柔軟な主催者に感謝したい。

さて、あと数時間後にアイスブレイクをテーマにしたワークショップが始まるのだが、その前に、ちょっと「アイスブレイクって本当に必要なの?」という点について、考えてみたくて筆を執る。

ファシリテーターが音頭をとってアイスブレイク=「緊張をほぐす工夫」をすることは、余計なお世話になることも多い。「体をほぐそう」「お互いの名前を覚えよう」「よい関係性を築こう」とおもって繰り出すアイスブレイクのおかげで、なんとなく仲良くなったり、お互いにコミュニケーションをとるきっかけをつくれたりするのは、一見良さそうな気もするのではあるが、自然と生まれた関係性というより、人工的に即席につくられた感じが出る場合もあって、そうなると、なんだか違和感を感じる時もある。

例えば「周りの人とイエーイ!と言って笑顔でハイタッチしましょう!」みたいなアイスブレイクをチョイスしたとする。すると会場中に笑顔があふれ、みんなでワイワイやれている「感じ」はつくることはできる。しかし、参加者の中には、今朝方、愛猫が天に召されるのを泣く泣く見送ってこの場に来た人もいると、その人の心中はいかに。笑顔でハイタッチしたい気分でもないのに、ファシリテーターの一言でもしもそれをさせられていたとすれば、なんだか台無しな場づくりとなってしまうように感じる。そういう不相応なアイスブレイクなら、やらないほうがマシなんじゃないか、と。

ファシリテーターによっては「自己紹介は禁止です」といって場を始める人もいる。自己紹介はお互いのやっていることや、専門性、職業、経験値などを含む情報が出されることがあるので、それらがちょっと邪魔になる時もある、という考えである。例えば「私は小学校の教員で20年ほど教育現場にいます」と自己紹介をすると、その瞬間に「あ、あの人は経験豊富な学校の先生なんだ」と見られてゆく。その日の話題が教育がらみだと「先生としては、はどう思うのでしょうか?」みたいな感じで見られたり、その分野の専門家としてのコメントを求められたりしがちだ。その場合、対等な意見交換の場というより「専門家の話を聞く会」みたいになっていくと、その人自身の考えとか、ゆらぎとかを出しにくい場になることもある。自己紹介なしに「これってどう思う?」とやりとりできたほうがフラットな場づくりができる、こともある。

どんな道具でもそうだが、それを使うには、その危険性もよくわかっていたほうがいい、ということ。アイスブレイクや自己紹介は良いモノだ、必ずやるものだ、と思い込まずに「これって、本当に必要かな」「これをチョイスするとどんな影響があるかな」ということをイメージして、選べるようになりたい。願わくば、余計なものが少なく、シンプルで深い場づくりができるようになりたいと、思っている。

2024年4月6日(土曜日) 朝@仙台コンフォートホテルにて


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