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監視社会の始まり:パノプティコンとその現代的意義【アシモフの雑学トリビア・豆知識】

パノプティコンの原理は、ジェレミー・ベンサムが考案したユニークな刑務所デザインに基づいている。この設計は、建物の中心に監視塔を置き、その周囲に放射状に囚人の独房を配置するというものだ。独房には監視塔に面した窓と、外側に向いた窓があるだけで、他の部分は壁で仕切られている。

この構造により、監視塔にいる監視人はいつでもどの囚人が何をしているかを確認することができる。一方、囚人はいつ監視されているか分からないため、常に見られているというプレッシャーを感じることになる。これにより、囚人は自らの行動を規律するようになるとベンサムは考えた。

功利主義の創始者として知られるベンサムは、社会全体の幸福を最大化するためには個々の行動が重要であると考え、このパノプティコンを提案した。パノプティコンは単なる刑務所のデザインにとどまらず、社会のあらゆる場面での監視と制御のメタファーとしても用いられることがある。例えば、現代の監視カメラやインターネットのプライバシー問題などにもその影響を見ることができる。

要するに、パノプティコンは「見られているかもしれない」という感覚を利用して人々の行動を規律する仕組みなのだ。実にシンプルかつ効果的なデザインと言えるだろう。


今日は効率の追求が生んだ産物、パノプティコンを紹介する。パノプティコンとは日本語で一望監視施設と呼ばれる、刑務所などに用いられる建築様式のことだ。ちなみに、近現代の社会システムを形容する際の例えとしても用いられる。

パノプティコンの特徴について説明する。まず中央に監視塔があり、それを取り囲むように円形の監獄が配置される。監視塔からは常に全方位に向かってライトが照らされており、その光で看守は常に全員を監視できる。反面、収監者たちは逆光やマジックミラーなどで監視塔の様子はほぼ見えない。これにより、収監者は常に監視されているように感じ、自発的に規律を守るようになる。

このシステムを考案したのは、イギリスの哲学者ベンサムだ。彼は功利主義を提唱し、社会全体の幸福量を増やすために犯罪者の更生を重視した。そのため、多くの人間を同時に収監し、常に監視の目を意識させることで自発的な更生を促し、社会全体の幸福量を増やそうと考えたのだ。

パノプティコンの歴史は古いが、現代でもその概念は形を変えて用いられている。例えば東京拘置所や網走刑務所など、直線的な設計でもパノプティコンの考え方が取り入れられている。

パノプティコンが近現代の社会システムにどう影響しているかというと、私たちは生まれた時からパノプティコンの中に生きている。例えば学校の自習時間を思い出してほしい。見張りの先生がいると生徒は自律的に自習を始める。これは、監視の目を意識することで自発的に行動を改めさせるパノプティコンの概念そのものだ。

現代社会では防犯カメラやインターネット上での記録など、常に何かの監視下にあるため、誰かが常に監視していなくてもルールや法律を破ることに抵抗を感じるようになる。そして、人々は自分自身が自由な存在だと錯覚する。これを最初に提唱したのは、フーコーというイギリスの哲学者だ。

フーコーは社会全体がパノプティコン化していると主張した。彼の考えによれば、現代社会では監視が至るところに存在し、それが人々の行動を制約している。これにより、監視者が直接介入しなくても人々は自発的に規律を守るようになる。

例えば、街中には防犯カメラが設置されており、公共の場での行動は常に記録されている。また、インターネット上でも、個人の行動はログとして保存され、データとして分析される。このような状況下では、個人は常に「見られている」という意識を持ち、自律的に行動を制御するようになる。

しかし、パノプティコンの中にいる人々は、自分が監視されていることを意識せず、自分の行動が自由であると錯覚する。これがフーコーの言う「見えない監獄」の概念だ。つまり、監視は目に見えない形で存在し、人々の行動を制御している。

このように、パノプティコンの概念は現代社会に深く根付いており、私たちの行動や意識に大きな影響を与えている。フーコーの議論は、監視社会の問題点や、個人の自由と監視のバランスについて考える重要な視点を提供している。

最初に話したベンサムの功利主義とフーコーの監視社会の概念は、現代の刑務所だけでなく、私たちの生活のあらゆる場面に影響を及ぼしている。例えば、職場での監視カメラやインターネットの使用履歴の記録など、私たちは常に何かしらの形で監視されている。そして、その監視が私たちの行動を制約し、自律的に規律を守るように促している。

このような監視社会の中で、個人の自由をどのように保つかが重要な課題となる。監視の効果を最大限に活用しつつ、個人のプライバシーを守るためのバランスを見つけることが求められる。フーコーの議論は、そのためのヒントを提供していると言えるだろう。

ミシェル・フーコー

規律訓練の発展と技術

ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』では、17世紀から18世紀にかけて発展した規律訓練が分析されている。規律訓練は当初、危険の消去を目的とした抑圧的な働きであったが、後に従順で有用な個人を作り出す積極的な役割を果たすようになった。この規律訓練は学校、軍隊、病院、工場などで確認でき、配分の技術、活動の取り締まり、段階的形成の編成、様々な力の組み立てという4つの技術が用いられる。

配分の技術と活動の取り締まり

配分の技術とは、個人の場所や空間を指定し、割り振ることである。学校においては、生徒の性質を踏まえて座席を決定したり、成績や年齢に基づいて序列化するなどの方法で統制する。活動の取り締まりとは、どの時間帯に何をするかを定め、時間割によって行動をコントロールすることである。

段階的形成と力の組み立て

段階的形成の編成とは、やるべきことや課題を順序立てて訓練を施すことで、教科書などがその典型例である。様々な力の組み立ては、これらの技術を組み合わせて効果を最大化し、より効率的にするための戦略を練ることである。フーコーは、規律訓練には階層秩序的な視線、企画化を行う制裁、試験という3つの道具が用いられると述べている。

パノプティコンと近代社会

フーコーは、規律訓練の機能を集約したものとして、ジェレミー・ベンサムが考案したパノプティコンに注目している。パノプティコンは監視塔から囚人を360度監視できる構造で、囚人は常に監視されていると感じるため、規則に従うようになる。この仕組みは監獄だけでなく、学校や病院などでも応用されており、近代社会全体が一つの大きなパノプティコンとして機能しているとフーコーは分析している。

権力と知識の相互作用

フーコーは、規律訓練を通じて従順で有用な個人を作り出すだけでなく、権力が知識を生み出し、知識が権力を強化するという相互作用を強調している。監獄や学校、病院、工場などは、個々の人間に関する学問が形成される場であり、権力と知識が密接に結びついている。フーコーの権力論は、規律訓練の分析からさらに発展し、近代社会の権力関係を深く考察している。



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