#親鸞上人

後生の一大事の解決11(完)/阿部信幾先生2023.10.09【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決11(完) 浄土真宗の教えは、一言で言えば、私が悟りを開いて仏様になる教えである。浄土真宗の場合、いつ悟りを開くかというと、臨終一念の夕べと言う。私たちは生きている限り、必ず臨終が訪れる。その臨終の時にお悟りの仏様になるという教えが浄土真宗である。 お悟りの世界を極楽浄土と言う。私たちは悟りの世界が分からないので、仏様が私たちに悟りの世界とはこういう世界であると教えてくださった。それが阿弥陀様の極楽浄土である。臨終の時に仏様の悟りを開くことを、浄土真宗では

後生の一大事の解決10/阿部信幾先生2023.10.09【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決10 後生の一大事と三世の教え 後生の一大事の解決というテーマで話をさせてもらってきたが、今日は最後なのでそれをまとめたような話をしようと思う。 大体、後生という言葉は、前生(生まれる前)、現生(現在)、後生という3つの世界がある。生まれる前の世界を前世といい、これら3つを合わせて三世という。仏教の教えはこの3つの因が基本になって説かれている。なぜかというと、我々は生まれてくる前のことは分からないし、死んだらどうなるかも分からない。そういう分からないこと

後生の一大事の解決09/阿部信幾先生2023.10.08【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決09 この度は、後生の一大事の解決というテーマでお話をさせていただくということです。最初から申し上げておりますが、親鸞聖人の教えを聞き始める場合、多くの方は歎異抄からでしょう。歎異抄は非常に普及しており、YouTubeでも「あなたのそばに歎異抄」という番組が放送されています。歎異抄を通して浄土真宗の教えに出会った人も多いと思います。 しかし、歎異抄という書物の性格については注意が必要です。これは実は、法然上人の教えを親鸞聖人が関東の法然上人の弟子たちに頼ま

後生の一大事の解決08/阿部信幾先生2023.10.08【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決08 ホトオリケ 仏教とは仏様の教えを意味し、もう一つは仏になるための教えである。仏になるとはただ死ぬことではなく、お悟りを開くことを指し、これを成仏と言う。お悟りを開くことで全ての煩悩の束縛から解放されるため、欲の苦しみから解放されることを意味する。この解放を「ほどける」とかけて「ほとけ」と呼ぶようになった。つまり、仏様とは一切の苦しみから解放された存在を指す。 親鸞聖人は「仏様」という言葉があまり好きではなかった。日本に仏道が伝わった時、天然痘が流行

後生の一大事の解決06/阿部信幾先生2023.10.07【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決06 後生の一大事の解決について話す。 仏教では「生まれ変わり」を言うが、我々は「生まれ変わる」というと、どこかに生まれ変わる世界があると考えがちである。特にお釈迦様が生まれたインドでは、8割の人々がヒンズー教徒であり、ヒンズー教は生まれ変わりを信じている。そのため、インド人の8割はお墓を持っていない。インドは墓のない国である。 もう一つ墓のない国がある。それはブータンで、火葬したり、その遺灰を撒いたり、散骨したりする。ブータンでは昔から散骨が行われてお

後生の一大事の解決05/阿部信幾先生2023.10.06【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決05 宿業について話す みんな「業」についてあまり言わない。「業」に触れると差別につながるからといって避けているからだ。だからこそ「業」の話をしないと仏法の話にならない。今日はあえて「宿業」について話そうと思う。 「宿業」という言葉が出てくるのは、私の知る限りでは『歎異抄』だけである。 他の聖教には「宿業」という言葉は出てこない。親鸞聖人は『歎異抄』に書かれているような宿業観ではないと言う人もいるが、それを言い出したら聖教なんて読めなくなる。自分の都合の

後生の一大事の解決04/阿部信幾先生2023.10.06【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決04 この度は業という宿業について話をしようと思う。 「業」という言葉をほとんどの布教師が言わない、嫌がる。なぜかというと、「業」の話をすると差別につながるからだ。だからこの話をしないという。 三世も言わない。前世と現世と後世、この三世を言わない。なぜかと言うと、これが絡むからだ。前世の行いが現世を作り、今現世でやっている行いが後世を作る。だから「業」は己の行いだ。行いによってこの世界が生まれると説いているのが仏教だ。 だから世界があってそこに私がいる

★後生の一大事の解決03/阿部信幾先生2023.10.06【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決03後生の一大事という言葉は、最近の大説教ではあまり耳にすることが少なくなっている。これは残念なことだが、この言葉を最初に使い始めたのは親鸞聖人から200年後の蓮如上人である。《後生の一大事の解決》という言葉を使って、親鸞聖人の教えを広めたのだ。 簡単に言うと、後生の一大事とは死んだらどうなるかという問題である。これは人間にとって最大の問題であり、動物にはこの問題は存在しない。人間だけが死んだらどうなるかを考えるからだ。 この問題の解決を今回話したいと

後生の一大事の解決02/阿部信幾先生2023.10.05【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決02後生の一大事の解決について話をする。 最近では「後生」や「後生の一大事」という言葉をあまり耳にしないが、これは古い言葉であり、蓮如上人の時代にさかのぼる。 蓮如上人は親鸞上人の200年後、室町時代の人物である。 蓮如上人によって浄土真宗が日本に広まったと言っても過言ではない。 彼を「中興上人」とも呼び、「御再興」という言い方もある。御再興とは、壊れていたものを再び立て直すことを意味する。 つまり、浄土真宗の教えが本来のものではなくなっていたところに

後生の一大事の解決01/阿部信幾先生2023.10.05【仏教・浄土真宗】

後生の一大事の解決01後生の一大事の解決という題でお話をいたします。 後生の一大事というのは、言葉としては古いが、最近では「後生」という言葉はほとんど使わなくなった。この言葉は、昔はお願いするときによく使われていたが、今では時代劇くらいでしか耳にしない。「後生だから」と言ってお願いする場面が多かった。 言うまでもなく、これは仏教用語である。 今、我々が生きてる、これを現生という。 生まれる前を前生という。生きてる、ということで生という字を使うが、その場所…場所的に言うと