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AO・推薦入試に必要な“失敗”とは? :後編【親の受容力】

前編【独自性を生み出す条件】
中編【リスク管理能力の効果】

「失敗」に直面した時、それをどう解釈し即座に何を判断するかが、組織においても個人においてもその後の命運を分かつはずです。
前回の記事では、そのような「機転」の本質は「新しい戦略」の構築にあるとお伝えしました。

ただし、そもそも失敗することを肯定する環境が重要です。

数年前に、失敗に寛容でない日本の風土を赤裸々に示すものとして、ニューズウィーク誌の「世界一チャレンジしない日本の20代」という記事が話題になりました。

この根拠となったのは、各国の研究者が調査した「世界価値観調査」です。

縦軸に「冒険や刺激のある生活は大切だ」という指標を、横軸に「クリエイティブであることは大切だ」という指標を置いて示されたグラフは、右上にあるほどそれぞれの肯定率が高いことを示し、左下にあるほど低いことが示されます。
その座標上に世界59カ国の国別の平均値を配置すると、圧倒的に左下に位置しているのが日本なのです。

この結果は、途上国や社会的な規制が厳しい旧共産圏の国以上に日本の若者が萎縮している現状を表しています。

この記事で印象的だったのは、若者の「クリエイティブ志向」や「冒険志向」に水を差しているのは、実は日本企業の責任もあるのではないかという指摘です。

採用する時には、「クリエイティブでチャレンジングな人財が欲しい」と謳いつつ、斬新な企画を提案したり会議や商談の場でイニシアチブを取ろうしたりする若手社員を、「生意気だ」と言って排除する風潮があるのではないかと言うのです。

耳に痛い話ですが、こうした日本企業の傾向は確かに存在するのではないでしょうか。

私は、企業によるこうした「タテマエと本音の乖離」は、実はかなり深刻な問題なのではないかと感じています。

AO・推薦入試に挑戦する受験生などを見ていると、まさに自分の中にある創造性を芽吹かせ、挑戦心を耕しながら自分のキャリアを形成していきます。
こうした素養は、入試形式云々にかかわらず若者に共通する天然のエネルギーだと思います。

ところが、実際に社会に出て企業に属したとき、年功序列というシステムの中でそうしたパワーがスポイルされてしまうことは、本来は社会の損失です。

ただし、それ以上に旧態然とした岩盤がズシリとのしかかっているというのが、もしかしたら日本企業の実態なのかもしれません。

だからこそ、我が子に対する保護者の方によるメッセージが非常に重要なのではないかと私は思います。

以前私が民間教育の現場にいた時、ひとりの中3生の男の子がお父さんに連れられて塾の見学に来ました。

学習方法やAO・推薦入試のカリキュラムなどについて諸々の説明をしていく中で、将来の夢や目標について話題が展開していきました。

そこで私は、

「将来はどんな人になりたいの?」

と聞くと、この中学生は、

「僕はお父さんみたいに会社に入って人生を終えたくない。もっと自分にしかできないことをやってみたい。」

と、父親の前できっぱりと言い切るのです。

私はどう返答しようかちょっと焦っていると、隣にいた父親がすかさずこう言いました。

「たしかに、会社という場は自分の思い通りにいかないし、むしろ自分が良いとは思わないこともやらなければならない場合もあるよ。ただし、その中でお父さんが学べたことや成長できたこともたくさんあった。だけど今は時代が違う。お前が生きる未来は、お父さんの時代のルールが通用しなくなる可能性が高いだろう。だからお前がそう言うのもよくわかるよ。」

親子の価値観の差による些細なやりとりだったのかもしれませんが、私はこの父親の率直な言葉に感じるものがありました。

「世間知らずだ」と子ども扱いすることなく、我が子を一人の人間として認め、対等に接している姿をそこに見たからだと思います。

とかく教育の現場でのキャリア指導は、「兎にも角にも夢を持つことが一番大事」と主張するだけの表面的でバーチャルな価値観か、反対に、「現実的には偏差値の高い大学への進学がリスクの少ない安全な生き方」という変なリアリズムによる可能性の搾取かに振れがちです。

実社会に厳然と存在する不条理や現実を共有しつつ、本人の存在をあるがまま受け入れるというレセプターとしての役割は、実は、保護者の方こそが果たせるのではないでしょうか。

そして、そのような親子の関係性が増えていけばいくほど、「失敗」を肯定する社会に近づくことになるのかもしれません。

次は「新しい教育モデルの最前線」です。
お楽しみに。

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