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うまらないもの

本棚の余白がうまっていくのは季節が過ぎてゆくのと似ていますね。

いつかはこの余白もうまっていくんだろうけども、目下うまりそうにもないな、などと思っていたらそれはいつの間にかうまっていて、うまっていなかった頃の自分を忘れてしまいそうになります。

今の私は、春が来る前の頃の私を覚えていますでしょうか。覚えていると思っているそれは、ただの外郭であって私ではないのではないですか。

どうにか覚えておきたいと思うのは、いなくなってしまう寂しさが怖いからであり、しかし寧ろ忘れてしまった方が体感としては楽なんだよということも知っており、そうすると何も考えたくなくなるのです。
過去、未来、現在、ぜんぶを忘れたくなるわけです。

さて、なかなか本棚の余白をうめてくれない本があって、シモーヌヴェイユ姉さんの「重力と恩寵」というんですけれども、もう二ヶ月ぐらいは戦い続けております。そもそもキリスト教の礎がない私としては、その思想を汲み取るのが大変困難でもあり、向こう側がうすうく見える程度で読み進めるにも体力がいることいること。勿論内容もやっぱりムズかすい。昔に比べて結構いろんな本を読んで、もう読めない本なんてありまへんがななどと思っていた私をぶち折ってくれたわけですヴェイユ姉さんが。
読んで、そいつを理解出来てるのかと言われたら出来てますとは言えませんが、切実さだけは嘘偽りなく伝わって来てますよ。

過去と現在と未来とを繋ぐ本棚の余白になかなか入ろうとしない彼女は、今だけをつなぎ止めてくれている気がして嬉しく思います。
読み終えたいとはもちろん思いますけれども、そうなってしまった後で、読んでいる時の自分を忘れてしまいそうになるのはやっぱり少しだけ寂しいわけですね。

あと、岩波の文庫で読んでるんですが天アンカットが鬼シブですわ。

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