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もしも令和維新をするならば・・・

憲法記念日ということで、少し政治的なことを書いてみようと思う。ここ最近の政治を見て、このままではならぬと思った。危機感を覚えた。自分ごとに思い、どう変えたらいいのかなと考えた。かといってどうなるということもないが、長いこと考えてやっと答えにありつけた。

不特定多数の人に見られるnoteだし、政治のことにおいては日本ではセンシティブな内容として扱われることが多いし、不勉強なので何を書いてもいいわけではないが、今考えていることをすこし此処に留めておきたい。

政治に興味を持っている。私は日本史が好きなため、日本史を知る上で政治は欠かせない。政治の詳細においては、勉強途中でいろいろな本を読んだり知見を深めている最中である。

ただ、私は日頃から政治について考えることがある。もちろん選挙に行くときなどは、殊更に考える。

どんなに忙しくとも必ず政策などを調べ選挙に行く。調べた上で臨むが故にか、選挙の時にいつも私は不便な思いをしている。「政党」というものが不便でたまらない。

最近では若い人の投票率をあげるためにも、親切な方が若い人に届くように
「この政党は、この問題においては、このようなを持っていて、このような対策を行いたいらしい。こっちの問題においては、このように政策を打ちたいらしい。」
というのがチャート化され、Twitterなどで見れるようになっている。

これを用いて、簡単に言うと
「この問題においては、こっちの政党のやり方が良いのだけれど、こっちの問題においてはこっちの政党のやり方がいいのだよな。」
という具合に、チャートの中で丸をつける政党が割れる。

コロナの対策、外交問題、原発、夫婦別姓、同性婚など・・・昔と違い議論する項目が多様化している今は、全部同じ政党のやり方がいいとは限らない。結局どこかで優先順位をきめ、どこかで妥協しなくてはならない。

しかし市民にとって、選挙とは唯一の意見を反映できる機会なのである。なるべく妥協したくない。従って私にとって「政党」というものが不便なのだ。

今の政党政治の制度は、細かな違いはあるものの100年来の制度だ。憲法ももう80年だ。できた頃と今とでは、環境が大幅に異なる。そこで従来型の制度が、令和の時代において不向きな制度になってきたと感じる。

いわゆる議席数で与党野党を決める制度よりも政策ごとに違う政党が政治をするやり方であればいいのにと思う。

あくまでもたとえの話をするが、ここからは個人的な私見も含む。
コロナ対策において、立憲民主党が上手なのではと思う。自民党の対策にヤジを飛ばしている印象が強いという映り方が勿体無いが、経済よりも国民の命を守るという意識が、自民党よりも強く感じる(あくまでも個人的な私見)。加えて言えば、東日本大震災の時の対応も民主党政権が担った。良い悪いはあったが、直近の有事の対応を経験しているというのは、大きい。


しかし、民主党政権時、東日本大震災やリーマンショックなどもあり、経済はひどく落ち込んだ。当時私は高校2年生であったが、ほんっっっとに酷かったと思う。その後の経済復興は政権交代により自民党が担い、アベノミクスなどもあり、経済は上向きに回った。インバウンド需要も増え、有効求人倍率などもあがった。経済の面においての安倍政権を私は高く評価している。

自民党は有事の際のディフェンスが弱い。すごく弱い。これは今回のコロナの対策で感じた。しかし、その点旧民主党である立憲民主党(一度解散して分裂しているから律儀にそうではないのが残念なところではあるが)は、ディフェンスが強い。少なくとも過去に有事の対応をしているため、その反省を活かして対応ができる前例を持つ。

一方で、自民党はオフェンスが強い。経済を伸ばす、雇用を増やす、お金を回すということが強い。

ならば、コロナの対策においては立憲民主党が、コロナが治った時の経済復興を自民党が、協力してやれば良いのでは・・・?というのが今日思いついた新しい政治の仕組み。選挙の際もこのようにTOPICごとに各政党に投票できるようにしてほしい。もしも令和維新という形で、新しい政治のシステムを作るのであれば、議論する課題ごとに担う政党を変えてみてもいいのではないだろうか。

議席数を取らなければいけない選挙方式だから必要なのかもしれないが、こんなに多い国会議員も、この方式であればこんなにはいらない。

まあ、まだ勉強途中の身。見えていないこともたくさんある。わからないこともたくさんある。だが、このまま100年、200年同じ制度ではならぬところまできているという違和感が私には間違いなくある。

これを機に、今後もっと勉強していろいろ調べたい。

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