共感覚で「できないこと」

おはようございます。山口葵です。

プロフィール欄に「小説が読めない」という文章を追記してみました。

私は文章を書くのが昔から大好きですが、小説などを読むことができません。

医学的文献など、「事実」のみ書かれている文章は読めますが、人の感情が表現されているようなものを読むことが昔からできません。

文章が好きだと言うと好きな小説家などを聞かれることも多いのですが、小説家がどのような作品を出しているのか、表現を使うのかも全く知らないまま今まできました。

最近になって、これが「共感覚」が影響しているかもしれないということに気付きました。

本は好きでよく買います。
だけど、「主観」があるものは吐きそうになってしまいます。

最後に読めたのは高校時代に現代文に載っていた夏目漱石の「こころ」で、私のトラウマの作品でもあります。

「こころ」の中にある繊細な表現、緊張感の走る対話、私にはいまだにふすまの音まで頭にこびりついて離れません。

文章を読むと共感覚によって他の感覚があまりにも反応してしまい、「文章に酔う」のです。

文章から色や香りなど、他の五感が刺激され、目で見た情報以外のものがごちゃごちゃと一気に入ってくる。そのせいでそれ以降は小説を読むことが怖くてできなくなりました。

なので私のこの文章は、誰かの小説家に影響されたわけでもない、まっさらな文章です。

これが正しいのか、どうかなんてわからないけど拙い表現法で私はなるべく目で見たもの、感じたことを思い返してさまざまな場面に「模写」して散りばめています。

共感覚によって入れなかった世界があり、だけどそれによって自分の世界がより強固になっているようです。

自分らしく、書き続けること。

私のトラウマは一生治りそうにないですが、それを武器にできることを探してみたいです。


山口葵

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