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音痴がボイトレ通う話。何故いま歌か

私は音楽が苦手だ。
教養も才能も一切ない。

歌は音痴でド下手くそ。
楽譜も読めない。
楽器も何一つ弾けない。
聴くことすら基本的にはしない。
たまに聴いたかと思えばメタルやパンクなどが多く、小難しい音楽はさっぱり分からない。

音楽の神様には完全に見放されている存在だ。
我が母校の東京芸術大学にはすぐ隣に音楽学部があるというのに。

しかし、私もこの30年間ずっと音楽と無縁だったわけではない。

遡ること小学校1年生。ピアノを習っていたが、3ヶ月程度で辞めた。
始めた理由は姉がピアノを習っていたからなんでも真似したかったから。
当時の目標は『猫ふんじゃった』が弾けるようになること。
1度ピアノの発表会におめかしして出た。その時の課題曲は『初めてのドドドド』。「ド」しか使わない曲だ。
辞めた理由は「弾けるようにならないし飽きた」からだったと思う。

小学校時代の音楽の成績は可もなく不可もなし。

次に音楽を習ったのは、中学校2年生の時。合唱団に入っていたことがある。
きっかけは、少し言うのが憚られるのだが、当時親がハマっていた、新興宗教統一教会での合唱コンクール。
そこで猛特訓し全国大会に進み、晴れて準優勝したことだ。
どちらが課題曲で自由曲だったかは失念したが、『明日へ」と「旅立ちの時」を歌った覚えがある。
「心から感動して泣く」「仲間と絆を確かめ合う」という経験を生まれて初めてしたのは、この時ではないか。
同時期に中学校でも合唱コンクールがあった。
統一教会のスパルタ教育の賜物で、クラスの誰よりも大きな通る声で歌えるようになっていた。
合唱をもっとちゃんとやりたい、と強く思うようになり、日立少年少女合唱団へ入団。
しかし、楽譜が読めない。中学校では声の大きさで「でしゃばってる」「音痴のくせに」とイジメの標的にされる。
このようなことがあったり、受験勉強に専念するために合唱団を抜けた。
今でも思い出すと身の毛もよだつ思いをしたので、イジメの件に関しては詳しく触れないが、とにかくこれがトラウマだった。

それからは一切人前で歌わなくなった。
カラオケに行ってもマラカスで、自分が曲を入れることはなかった。
恐ろしいのだ。
「音痴」と糾弾されるのが。

だから、音程が合ってる合ってないの尺度で囚われない、シャウトばかりの歌で誤魔化すなどをして何年も過ぎた。

次に歌を歌うことになったのは、25歳の時。
カラオケが好きで歌も上手い彼氏と付き合ったのがきっかけ。
「たまにはお前も歌ってみろよ。叫ぶんじゃなくて普通にさ」と言われ渋々歌ってみたら、
なんと「なんだお前悪くないよ、むしろ歌の才能あるんじゃない?声がいい」と言われたのだ。
それからはカラオケに二人でしょっちゅう通った。
少しずつだが、凍りついた心が溶けていく気がした。

その後、「足立区ドン底伝説」「スナワチオコス」「ハイパーあおいうにバンド」などのバンド活動をするが結果は出ていない。
カラオケはしょっちゅう行って歌うようになった。一人でも行くし、仲間とも行く。

あの時のトラウマ克服という意味でも、絵により深みを持たせると言う観点でも、いまだからこそ「歌」をやるのはアリかなと思う。
絵よりも実は先に歌を習っていたという、バックグラウンドがある。
私の人生の数%は「歌」「音楽」に操られていて、そこは避けて通れない。
いつまで経っても逃げるのはもうやめだ。

来週、ボイトレ教室の無料体験に行ってくる

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