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夏の空に描く笑顔と花火の記憶

何でもない日常の中で織り成す一コマ。ほんの些細な出来事だけれど、心に刻まれた夏の夜の花火。懐かしさが胸を満たす。
人生の中で大切なのは、特別なイベントだけでなく、何気ない瞬間にも宿る喜びと幸せ。あの夜の笑顔とキラキラ花火が教えてくれたこと―それが今回のお話。


25年前の記憶

花火が好きだ。
夜空に燦然と輝く大きな打ち上げ花火もすばらしいけれど、家族で楽しむ手持ち花火がいい。
子どもたちがまだ小学生だった頃、夏休みの夜、よく花火を楽しんだ。
夕飯も早々に済ませて、準備開始。
大きなバケツに水を入れて防火対策、蚊取り線香、いやその前に虫除けスプレーだ。シューシューと腕、足、首の後ろと子供たちに向かってふりかける。
「やだーくさいー」といい、逃げながらも、笑いが止まらないお祭り好きな長女。
「かして!」と私から虫除けスプレーを奪い取り、自らぶっかけているしっかりものの次女。
その隙にと、さっそく花火を広げはじめて、「オレこれがいいー」と、長めの花火を取り出して、振り回しはじめる末っ子長男。
だいたいいつもそのあたりで花火争奪戦となり、結局仕切り屋の次女が、花火をそれぞれに分け、丸く収めるというのが通常となっていた。
私はというと、蚊取り線香に火をつけたり、ろうそくを準備したりしながらその様子をうかがうのだ。思い出といえるほどでもない何でもない日常。

令和5年5月

連休に、久しぶりに子どもたちが集まった時、花火の話が出た。よく花火をしたこと。取り合いしたこと。ふりまわして火傷しそうになったこと。線香花火を足に落とすと穴があくって脅かされて怖かったこと。
「花火って何であんなに楽しいのかな」
「ただ火をつけて持っているだけなのに、なんだか楽しかった」
「キラキラで、なんだか夢のようだった」
「夏にやろうよ」
「やろう、やろう!」
3人とも、三十路を越え、家庭を持ち子どももいる。それでもニコニコと話す顔は、あの頃のままだ。
総勢10人以上で囲む食卓は、賑やかだけどヘトヘトで、でも、そんな会話を聞いていたら、疲れながらも温かい気持ちになった。

余韻

煌めく星々とともに、家族と一緒に過ごすその瞬間は、私の心に深く刻まれた幸福な記憶だ。当時のささやかな喜びや無邪気な笑い声が、今でも心の奥底で温かく輝いている。
何気ない日常だったはずが、時を経て胸によみがえる。日常こそ、後に輝くものなのだ。

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