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Card.33「⌘市の歴史」

3349文字・60min

 

 ★かなり前の原稿です。
 なにか文芸的な挑戦をやってやるぞ! などと突っ張ってた頃に書いた原稿です。句読点「、」を付けておらず、非常に読みづらいです。
 筒井康隆先生や中上健次やガルシア=マルケスなどの影響が色濃見えます。
①「⌘」の発展(史)☞ガルシア=マルケスの「百年の孤独」の街「マコンド」
②「、」がない。☞筒井康隆文学や中上健次の「句読点のない段落」
③「路地」の発展(史)☞中上健次の「路地文学」

 やはり読みづらいので、改稿しました。


 その日の朝刊は、紙面を彩るような衝撃的な事件がなかったらしく、紙面の埋め合わせのために、⌘の歴史を振り返る特集記事が組まれていた。それは三面の社会面の左下に、小さく書かれてあった。
 これは、⌘市の人口は三千人に落ち込んでしまい、古代の王朝であった⌘王朝に迫ろうとする「⌘市」の激動の歴史である。


 そもそも「⌘」は、太古からここ、「⌘」(の森)に棲みついた、口頭伝承をもたぬ山立(やまだ)ち達が使っていた象形文字だった。
 「⌘」の始まりは、どこの集落にもひとりはいる、血気盛んで好奇心旺盛な若者「X」が、自由と自立を求めて「⌘」を飛びだしたことにある。
 「X」は「⌘」を出て、すぐに挫折した。しかし「X」は、なんとかどこかの町で見聞きして、いくらかかじって覚えた言葉を、「⌘」にもち帰った。
 「⌘」には太陽が当たらない。湿った影ばかりの森である「⌘」は、外部の世界からは「陰地(いんち)」と、呼ばれていた。
「ここはいんちって言うんだぞ」
 、「X」は身ぶり手ぶりを交えて自慢げに⌘の民に言った。だが、⌘の民は口頭で伝えることを知らなかった。象形文字しか知らない。ここ「⌘」は、「迷わぬ森」であってここ「⌘」に住む「迷わぬ民」には太陽は燦燦とあたっている。その上「迷わぬ森」のどこも日陰である場所などないではないか!
 それに、ここは「陰地(いんち)」だ、なんていわれても、陰地の読み方がわからない。
「お前の言うことは興味などはない。さっさとこの、お前が言う陰地を、おまえがやってきた町にもってかえれ! 若者よ。ヨヨヨ! きさま、お主、ここに舞い戻ってきたというが、きさま、そもそも何者か!? ここでなにをする気か!? 」
 ⌘民は言った。
 数週間後には「X」は、陰地のなかで、ぐるぐるとさまよった後、ぶっとい。これならば、いかにも遥か樹齢がありそうな立派な樹の幹に、首をくくって死んでいた。
 そんな経緯があってから、ずっとである。
 いまの令和になったいまでも、⌘には読み方は存在しない。
 ある日、山立ちの若い衆(し)のひとりが、⌘の森を通りかかった。
 彼は山師に唆(そそのか)された。神が宿ると伝わる仄(ほと)の山の、さらに奥地にまで踏み入った。
 若い衆は、仄(ほと)の大樹を切りだして、丸太を下流へ流すようになった。
 ⌘の森から下流に流れ着いた上質の木材から「⌘の歴史」は始まったと言える。上流から流れ着いた仄(ほと)の木材の、その樹齢と密度は非常に高く堅牢だった。かつ、樹のしなやかさは、家屋を立てる際に使用される資材では国内最高級品となった。
 山師は、丸太が流れつく船着場の飯場の傍に楼閣を作った。女郎を住まわせた遊郭である。飯場へと、続々と遊女らは登ってきた。
 材木商との米や味噌や着物や黄楊(つげ)の簪(かんざし)などの物々交換が始まると、次第にそこには、鍋や釜や生活什器(じゅうき)の市が立つようになった。
 そこは「路地」と呼ばれるようになった。
 「路地」に住み着いた破落戸(ごろつき)は、別府や大分、ときには熊本や博多まで出向いて、旧日本軍が戦後になって手放した、戦地では戦意向上のために内地では勤労向上のために使用していた向精神薬ヒロポンを大量に持ちこんで、金に変えた。
 すると、高級品から生活必需品の物々交換市だった路地「⌘」は、メタンフェタミン系の薬物、通称シャブと、大枚が動く日本最大級の一大闇市へと変貌をとげた。
 さらに、「路地」で勢力を増した暴力団が介入をし始めると、帰還兵や憲兵や警察や在日米軍が横流しにやってきては、壊れにくいと定評のある、後に日本の警察の拳銃となる日本製の拳銃ニューナンブを始め、古くは二十六式、十四式、九四式、村田式、杉浦式、浜田式自動拳銃などを専門に扱う銃火器の闇市に変わっていった。
 豊富な銃火器の売買と社会現象にまでなった密造ヒロポンの需要で闇市の日本の首都になった路地は爆発的に栄えた。だが、高度経済成長のさなかの治安維持に本腰を入れた警察庁(ときに国家公安委員会)の一斉摘発によって瞬く間に、「⌘」の路地は、壊滅した。
 ⌘市は木材の船着場と飯場の路地を完全に封鎖し住民らを海岸沿い(いま男がここから右手に見ている「⌘」漁港と公設市場とバスターミナルの傍(かたわら)に、朝日ケ丘団地などの集合住宅地があるその辺り)へと、締(し)めだした。
 平成になって市町村合併特例法で統廃合されて、東西に、まるで龍が横たわるがごとく座る仄(ほと)の山々から、太平洋の外海につきでる半島の東南海岸まで大きくなった新⌘市は、外海に面する東南部に空港や新幹線の駅を積極的に誘致した。
 南⌘を、市の中心部とする行政と商業区の再開発に力を入れた。
 そうやって次第に行政と商業の中心のほとんどが、南⌘市に移転してしまった。
 北⌘市は、廃れた。
 だが、それでも、北⌘市はいくら廃れたといっても、路地は古くから仄の山を守る妙真寺総本山がある。
 神が座る土地を守る霧科(きりしな)に棲む、「⌘の森」の一部とされている。
 現在の妙真寺総本山は、武士の時代朝廷では女性天皇ばかりが相次いで当時の将軍らに幾世代も仄の山に幽閉させられていた時期があった。
 その間、女性天皇は仄の高僧と懇(ねんご)ろになって、それから火仄の僧は女性天皇の眼前で神通力を現(あらわ)すようになった。
 そうやって本来、俗世と切り離された生活をする僧らが権力を持とうとした時代があった。いつしか当時の朝廷(仄が囲った女性天皇)を蔑ろにする当時の武士政治に反目する僧らが武装決起して仄を山を要塞にして籠城(ろうじょう)した。業を煮やした当時の将軍に焼き討ちにされた歴史がある。
 明治維新後は、すでに明治政府よりも前に存在する妙真寺総本山の敷地の一部といっていい北⌘市である北筒抜からは、右寄りの大物国会議員が選出されている。
 大規模地震や大寒波記録的な大雨や豪雪や、海抜の上昇などの地球規模の自然災害や、平成二十年のリーマンショックに始まった大恐慌や金融不安での欧州共同体の一国家規模のデフォルト危機、アメリカから中国から発展途上国からの、債務不履行問題などで世界大恐慌が続くさなかでも、「仄の山の使い」といわれる大物国会議員の肝煎(きもい)りで、筒抜市=「⌘」の開発は留まることなく、着実に進められていった。
 とくに、平成七年に起きた阪神淡路大震災からの⌘市北部のインフラ整備とその発展は著しい。
 ⌘市の、行政や都市機能や経済に対しての資本投下は、⌘市の南部に表向き譲渡しているようであるが、実はその実態は非常に見えにくい。まるで蜘蛛の巣でできた天球儀のようなインターネットの網の目のなかにある。それは以前の銃火器や密造ヒロポンなどで栄えた闇市時代のような地下の闇経済(国内外の闇社会からの資金洗浄や仮想通貨の闇取引所など)が回っているのではと噂されている。
 今後、南海トラフ地震などの巨大震災に備えるための災害対策なのか、荒(すさ)んだ⌘市北部の、治安維持のためなのか?
 またあるいは、妙真寺総本山の僧侶の何百年ぶりの再武装のためなのか? と、都市伝説的な噂も飛び交うほど妙真寺総本山の敷地の周りには堅固で高い壁が年々迫りあがる。
 昨年の仄の山奥に建つ本殿の方丈の間に棲む大僧正の死が、入定(僧侶が断食・生き埋めなど苦行の果てに絶命して即身仏になる行為)したはずの大阿闍梨が地下から抜けでたなど、さまざまな噂はあるが真実はだれも知らない。⌘市と、山の要塞のようになった妙真寺総本山との関係も現在不明のままだ」

 ⌘の森からやってきた男は、新聞を破って海になげ捨てた。




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