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タイピング日記044 / もしもし下北沢 / よしもとばなな〜あとがき〜

これを読んだ亡き父が「この小説の長さにはむりがありすぎる、だいたいこれは自分のおやじについて書いてるんじゃないのか」みたいなことを、半ボケで超長電話してきたとき、困ったなあと思った。新聞連載は自分の書きたいように書けばいいものではないから説明が多い内容になるのはしかたないし、だいたい出てくるお父さんのタイプが違うんだけどなあ、とも思った。

しかし、ゲラを読んでいたら、親を唐突に失った今の自分の心境をこの小説に出てくる人たちがうまく表しすぎていて、自分が自分の作品に癒されてしまった上に、予知して書いたのかとさえ思った。

なにをどんなに推測しようともう本人から答えを聞くことはできない、重い闇の中にいる時間。どう過ごしても救われることのないただ問い続けるだけの日々。

父はこのことを言っていたのかもしれないな、とさえ思った。

よく私の小説は「ほんとうに身近な人が死んだら、あなたの小説みたいにきれいごとは言ってられないし、大人はいろんなことがあってあなたみたいに気持ちだけでは生きられない」みたいな批判を受けるのだが、実際にそういう状況で読んでもあまり違和感はなく、しかも癒されてしまったくらいだから、やっぱり自分は間違っていなかったと思った。

私以外のタイプを癒すにはまだまだ修行が必要だが、少しでも似たタイプの人なら、きっちりと癒せる、そこまでは来た、そう思った。

えらくおめでたい言葉だが、そうとしか言えない。


この小説で毎日新聞社の方たちと絆も深まって今でもそれは続いているし、イオらストレーターの大野舞ちゃんとの友情もみっちりと深まったし、人前に出る仕事を引退するにあたって小さな手作りイベントをやって下北沢の町やピュアロードフリマともより太くつながたし、それを助けてくれた上山麻実子ちゃんとも仲良くなれたし、ワンラブブックスの蓮沼英幸さんにはイベントに関して無償でたくさんお世話になった。他社の本でも気にせず手伝いにかけつけに来てくれた編集の方々ち打ち上げをしたり、幻冬社の石原さんと壺井さんとも文庫化を通じてよい時間を過ごせるし、茨城に取材に行って大海赫先生ご夫妻と楽しい時間を過ごしたり、とにかくいろいろなことを連れてきてくれた小説だと思う。

小説の舞台となっている「レ・リヤン」は閉店してしまったけれど、シェフの吉澤さんは新たに「オー・ペシェ・グルマン」を立ち上げ幡ヶ谷で毎日おいしいものを提供していて常に大繁盛だ。彼女の作る麦のサラダも生き生きした味でまだ存在している。

ひとりひとりのお名前をあげたら果てしなく長くなってしまうのであげることはしませんが、この小説に関わってくださった全てのみなさん、読んでくださった読者のみなさん、多分最後になるサイン会にいらしてくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。


下北沢は残念ながら、ますます悲しい町になっていってる。

すてきな個人商店はどんどんなくなり、チェーン店やキャバクラばかりが増えていく。マッサージの赤ひげおじさんも姿を消した。牌(パイ)の音もなくなった。浜だこやチクテカフェもなくなってしまった。

これから時代は、個人の入るすきま、住んでいる人が自分のペースで生きられるのんきさがどんどん失われていくだろう。人は店の出したものを制限時間内に家畜のように受け入れるようになる。そこには相互関係の生まれる隙はない。

抵抗する勢力がなんとか生き延びられるよう、時代がよいほうになっていくように、企業がむだなものに投資できる時代がまた訪れるように、と望まずにはいられない。

このあいだ、コムデギャルソンが最近作った銀座のドーバーストリートマーケットに行った。服を買う人は減っているし、安価にせざるをえない部分もあるだろうし、苦しい闘いをしているはずのその日本のブランドが、あえて今の段階で文化に投資しはじめている。その志に深くうたれた。

お金のことだけ考えたらしないほうがいいことでも、人間はしたくてしてしまう楽しいことがあるのだ。

肉体がある限り、人間の真の望みはそうそう変わるものではないんじゃないかなと思う。

まだまだひそかに残っている名店の数々がなくならないように、祈るばかりだ。


よしもとばなな。


『もしもし下北沢』よしもとばなな・著

2012年8月5日初版発行

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