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冒頭で出会うVol.3_講演会

冒頭の出会い(短い文、段落、固まり)で、読者を引きこむ練習。
課題
❶五感を使って(読者に伝わるように)描く。


前の椅子からコソコソ声が聞こえる。

「おい、今日の先生は、だれなんだ? 」

二列前の、いかにも漁師ふうの男がイヤホンを外した。

「しらね、ネクタイの締めかたボンを書いている作家だろ」

漁協の役員の三橋さんと日高さんだ。ふたりともグレーの作業着の背が汗でぐっしょりぬれている。青年は俯いた。

この日のために設られた壇の上で、背が異様に低い先生は、ジェスチャーを大きく交え、説明していた。それでもまだ先生は、青年の席から上半分しか見えない。

「なんだい、Vゾーンってのは」

三橋さんは団扇を仰ぎながら、小突く。くろく皺の寄った大きな手で口元をふさいで日高さんは、あれだよ、おまんこのゾーンだよ。卑猥に笑った。歯がタバコの脂で黄色かった。漁師町に生まれたふたりは大きかった。しょんべんにいく、コーヒーでも買ってくっけど。青年の前にあった壁は会場から消えた。

壁が取り払われた青年の前に、小太りな異様に背が低い男が現れた。正月の鏡餅のようだった。動く鏡餅が「モテる作家のファッション講演会」をやっていた。

大きな壁が退いて、青年はファッション講師との距離が縮まった。

三橋さんと日高さんは戻ってくる様子はなく…

(今回は、失敗です。冒頭として字数が多すぎ)

展開としては、

壁が退いた ☞ 壇上の背の低い先生と目が合う ☞ 年末にZoomで会った顔だ ☞ ファッション講習が終わった後に青年が老文章作家に声をかける。

までを想定していた。

いま、冷静に読み直したら、この「ダラダラ場面説明」は出会いの「状況提示」じゃない。

「状況」は、物語の本質的な「描写」だ。「説明」じゃない。


書いて感じたこと、
安易に一人称の「ぼく」に逃げがちだ。一人称から冗長な内省に陥ったら、村上春樹ブンガクの十把一絡として処理され、一発落選だ。
「ぼく(一人称)」で書くならば、ぼく(一人称の内側から照らす世界)の眼を、強固にしなければいけない。
「ぼく」で書くなら、「ぼく」でかく覚悟。
「彼」「青年」で書くなら、三人称で世界を書く覚悟(腹)を決める。

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