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タイピング日記 / 千日の瑠璃0005

私はボールペンだ。

書くために生きるのか、生きるために書きつづけるのか、そのへんのことが未だにわかっていない小説家、そんな男に愛用されている水性のボールペンだ。彼は私を手に入れたとき、片時も傍を離れてはならない、と私に言った。自分には見えなくてはならないものがたくさんあり、そのなかには書きとめておかなくてはならないことがいっぱいあるのだ、と言った。本当だろうか。

以来、私はずっと彼に付き添ってきた。執筆の際は言うに及ばず、彼が仔熊にそっくりなむく犬をハンドルにつかまらせてスクーターを走らせるときも、およそ悩みらしい悩みを知らない妻とふたりきりで、粗末だが幸せな食事を取るときも、現実に圧倒されて正体もなく眠りこけるときも……。そして彼は今、数々の物象と命ある者とが巧みに構成する山国の町まほろ町をつぶさに観察し、また、風がそよとも吹かない日でも強風のなかの案山子(かかし)のように全身を震わせ、魂さえも震わせてしまう少年と、彼が飼うことになった野鳥を通して、自己のうちには見出せない精神の軌跡と普遍の答を捜そうともくろんでいる。

これは野望だ、と彼は私に言った。それは無謀だ、と私は彼に言った。しかし彼は決して私の上に否定のハンマーを振り下ろしたりはせず、天に向かってぺっと唾を吐いてから、私をぎゅっと握りしめ、安物の原稿用紙を手元にぐいと引き寄せた。

(10・5・水)

千日の瑠璃(丸山健二)上・P7

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