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【小説】グレープフルーツムーン#8
思っていたより少しだけはやく彼女のマンションにたどり着けた。
覚えていた部屋番号のインターフォンを鳴らし着いたことを伝えオートロックを解除してもらいマンション内へと入って行く。エレベーターが降りてくる少しの時間さえもどかしい。
彼女の部屋のインターフォンを鳴らすとすぐにドアが開いた。
「…いらっしゃい」
会いたかった英理奈さんが目の前にいる。
「はい、傘」
靴を脱いで部屋に上がろうとしたら折り畳み傘を手渡された。
え、このまま帰れってこと…?
「うそ、どうぞ上がって」
…揶揄われた。
固まって動けないでいるオレを見て笑いながら彼女が言う。
いやオレは笑えない、本気にしたわ。
気の利いた返しも思い付かず無言で部屋に上がる。
「…ごめん、怒った?」
申し訳なさそうにオレの顔を覗き込んでくる彼女の腕を引っ張って少し雑なキスをする。
「怒ってはないけど、これで許すよ」
代わりに固まってしまった彼女をそのままにして部屋に入っていく。微かに聴こえていたレコードの音がはっきりと耳に届いてなんの曲か脳がすぐに認識した。
ジミヘンだ。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのデビューアルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト?』
「これは持ってる、CDだけど」
オレがそう言ったところでちょうどA面が終わった。すかさず彼女がB面を再生すると、来て早々に手を出されて警戒しているのか隣には座って来ずテーブルを挟んで正面に座った。自分のせいだが少々不満に思いながらも話を続ける。
「この前レスポールに決めた話したでしょ、その店員さんがさ、すげージミヘン好きな人で、『絶対聴け!でも中学生にジミヘンはまだ早い、高校生か大学生になったら聴け』って言われて、オレそれ律儀に守って高校生になってからこのアルバム買って『パープル・ヘイズ』練習しまくった」
「そうなんだ。ワインでいい?」
ひとりでワイン一本開けるつもりでいたのか、ちらっと確認したところすでに半分位まで減っていた。
「うん、ありがとう」
グラスに注いでもらったワインを飲みながらそういえばジミヘンは今のバンドで演ったことないなと思い返していた。次のライブで演ってもいいかもしれない『パープル・ヘイズ』はさすがにベタ過ぎる気がするし、じゃあ他なら何がいいかな。しばらく曲を聴きながら考える。
「ちなみにジミヘン、どの曲が好き?」
ストレートに英理奈さんの意見を参考にしよう。
「えー、そうだなぁ、次の曲かな…ファイア」
彼女がそう言うとちょうど『ファイア』のイントロが始まった。
「…今テキトーに選んだ?」
タイミングはラジオのDJ並みにピッタリだったけど。
「そんなことないよ、ほんとに好き」
けどこの曲なら弾ける。歌もなんとかなるだろう。オリジナルにキーボードのパートはないからアレンジが必要だけど難しくはなさそうだ。明日にでもメンバーに連絡しよう。あぁけどイベントの主催はオールドロックオマージュのオリジナル曲やカバーに定評のあるバンドだ、曲が被るとまずいので念のためそっちにも聞かないと。
「…どうかした?」
ちょっと真剣に考え込み過ぎていた。
「ううん、何でもない。オレも好きだよファイア、ギター弾きたくなる」
音楽好きなら何でもないよくある会話、今までも散々してきた。それが英理奈さんと出来るのが心地良く心の底から嬉しく思える。何より彼女がとても楽しそうで、こんな時間がずっと続いて欲しい…。
「……ねぇ」
「なに?」
オレが呼びかけると英理奈さんはいつも真っ直ぐオレの目を見てくれる。
「今日、泊まっていい?」
オレから視線を外し、少し切な気な表情を浮かべて、
「……うん」
囁くように彼女は言った。
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