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【小説】グレープフルーツムーン#2

 金曜日の夜、条件は悪く無かったが客の入りはまばらだった。キャパシティ200人程の決して大きくはないライブハウスで出演は6バンド。努力はしているつもりだがなかなか客が増えない。それでもオレたちの演奏を聴こうとわざわざ足を運んでくれた人達と、初めて聴いてくれる人達に最高の音楽を届けるために今日もステージに立つ。
 各自セッティングを終え、一瞬の静寂の後、愛用のギブソンレスポールを掻き鳴らしオレは歌い始めた。ステージ前に集まってくれているすっかり顔馴染みの女の子たちが数人、歓声を上げてノッてくれる。こんなオレでも一端のロックスターの気分を味合わせてもらえる、この瞬間が堪らなく好きだ。

 今日は調子が良い。演奏のミスは多少あるが大きく崩れることはなくオレの声もよく出ている。ライブの終盤、曲の間奏で客席を見渡す。フロアの半分強くらいは埋まっているか。
 ステージから向かって右側、照明が灯っていて目にとまりやすいドリンクカウンター付近に視線がいった時だった。ステージに向けられた照明が眩しくてはっきりとはわからなかったが、その辺りに、見覚えのある女性がいたような…、まさかこの前の…。気を取られて間奏明けの歌い出しをミスったが、その後は持ち直し何とか最後まで切り抜けた。


 出番が終わり、機材を片付ける為控室に戻る間も心は別のところにあった。はやく確かめに行きたい。メンバーがあれこれ何か言っているけど全部無視してオレは急いでフロアに戻り、ドリンクカウンター付近へと向かう。
 そこで次のバンドのライブを見ているのは、紛れもなくあの時の女性だった。
 心拍数が跳ね上がる。
 自分を落ち着かせるために一呼吸置いてゆっくりと近付き、彼女のすぐ隣で立ち止まると、ステージに集中していた彼女は突然無言で側に来た男に驚いてこっちを見た。「あ、どうして…」爆音で掻き消され声は聞こえなかったが彼女の口の形は確かにそう言った。今はゆっくり会話も出来ないのでとりあえず彼女の耳にオレの口を限界まで近付けて「今日最後までいます?」それだけ確認すると彼女は声を出さず頷いた。
 今演奏しているバンドが今日のイベントのトリだ。

 ライブが終わり、バンドのメンバーがハケるとステージ上の照明が落ち、かわりにフロアの照明が明るくなって改めて彼女と向き合う。ライブ後の興奮と、もう会えないだろうと思っていた女性が目の前にいる事がまるで夢の中にいる様で落ち着かない。

「おつかれさま。…ここにいていいの?」
「あぁ、大丈夫です…」…たぶん。
「じゃあ一杯奢る。何がいい?」
「え、いや、そんなつもりで声かけたんじゃないから…」

 嬉しい申し出だが申し訳なさが勝った。

「私が飲みたいの、付き合って。ビールでいい?」

 すぐ横のドリンクカウンターでビールを2杯注文し、1つをオレに渡してくれる。 

「ありがとうございます」

 そういえば自分の出番が終わってから何も飲んでいない。最後思いっきりシャウトして終わったから喉がカラカラだったのを今思い出した。ビールを半分以上一気に流し込む。

「今日、どうして?お目当てのバンドでもいたんですか?」

 オレの問いかけに目を丸くする。彼女もビールをすでに半分以上飲んでいた。

「お目当てか、いちおう、キミのバンドを見にきたんだけど…」

 マジか…、驚いてむせそうになる。

「え、何で、もしかしてわざわざ調べてくれたんですか? 今日出る事…」

 ライブハウスのHPのスケジュールや、うちのバンドのSNSなどにライブの予定は掲載されているので検索をすれば情報を仕入れるのは難しい事ではないが、わざわざそれをして、次のライブにまで来てくれるという行為ははっきり言ってオレらのようなマイナーなバンドにとってはとてつもなく有り難く、もう神のような存在だ。

「まぁこの前は頭から見れなかったし、CDも聴いたけど、良かったし…」と、少し照れくさそうに彼女は言う。その照れた顔が可愛すぎて、もしまた会えたなら聞いてみたいと思っていた事が山程あったはずのに、うまく言葉が出てこない…。
「あの……」考えがまとまらないままそれでも何とか会話を続けようとすると、

「何やってんの〜」

 うちのバンドのメンバーでキーボードの斉藤ののんきな声が背後から聞こえた。

「あれ、もしかしてこの前のライブに来てたキレイなお姉さん?」

 リードギターの長田が彼女を挟んだ向こう側から顔を出す。
 振り返るとベースの小原もドラムの湊も全員に取り囲まれていた。邪魔すんなよぉ。

「この前ボクらのCD買ってくれたんですよね、ありがとうございます。今日どうでした?」

 メンバーの中で最もコミュニケーション能力の高い斉藤はオレと彼女の正面に回り込み、黙り込んでしまったオレの代わりに全く遠慮する事なく話しかける。

「うん、良かったと思うよ、と言っても前回途中からと今日しか見てないし、どう良かったと聞かれてもはっきりとは答えられないけど…」

 ものすごく正直に答えてくれる。

「今日はカバー曲は入れなかったんだね。でも、何曲目か忘れたけど、『レイラ』のアウトロ入れてきたの、曲の流れに合ってて良かったかな」

 彼女の言葉にみんな一斉に反応する。オリジナル曲が少ないということもあるが、正直こういう反応が欲しくてカバー曲をセトリに入れたり、名曲の一部を拝借したりしているのだが、それに言及してくる人は割と少ない。だから彼女が気付いてくれていてみんな嬉しそうだ。

「音楽詳しいんですねー。もっとお話聞きたいなー。あ、良かったら今日の打ち上げ一緒にどうですか?」

 超さり気なく斉藤が誘った。オレには絶対出来ない芸当だ。いや、けど確か前回共演した松本さんが彼女は打ち上げに誘っても絶対来ないと言っていたな…。やっぱ無理か…。

「……途中で帰っても大丈夫なら、少しだけ」

 誘ってくれた斉藤ではなくオレを見て彼女はそう言った。正直オレは今何が起こっているのかいまいち事態を把握しきれないでいたが、斉藤はオレと彼女を交互に見て満足そうにしていて、他のメンバーはニヤニヤといやらしそうに笑っていた。

 打ち上げの参加メンバーはうちのバンドメンバー全員とオレたちと年齢も近く、しょっちゅう対バンしているうちに仲良くなった本日のトリを勤めたバンドとその関係者、友人知人、そして彼女を含めた約20名程だった。いつも打ち上げに使わせてもらっている馴染みの居酒屋に着くと、うちのメンバーが気を利かせてくれて彼女の隣に座らせてもらったものの、勝手に付いて来ていた女の子数人にオレは囲まれてしまい彼女とは全く話せなかった。
 彼女たちを無下にも出来ず(大事なお客様なので)適当に相手をしている間メンバーが彼女を質問攻めにして、オレはその内容にこっそり聞き耳を立てていた。 

 彼女の名前は森英理奈(そう言えばまだ名前も聞いていなかった…)、年齢は28歳で、大学生時代に音楽サークルに所属していて少しだけバンドで演奏もしたが音楽は聴く方が好きだと気付き、以来バンド活動はしていない。洋楽邦楽なんでも好き、60〜70年代の洋楽(オレも好き)、特にビートルズが好き(それは何となく知ってたしもちろんオレも大好きだ)、2000年前後の邦楽が好き(わかる)、レコード収集が趣味(最高だな)、彼氏は…、いるらしい(…マジか)。

 彼氏がいるという事実には正直ショックは受けたが、28歳でこんなキレイな人に彼氏がいない訳ないよな、と思い直し、何よりここまで音楽の趣味が合いそうな人には男でも女でもなかなか出会ったことがなかったのでオレは単純に彼女、英理奈さんと出会えた事が嬉しかった。
 2次会には行かずもう帰ると言うのでこれまたうちのメンバーが気を利かせてくれて最寄りの駅までオレが送ることになり、その間になんとか彼女のケータイ番号を聞き出す事に成功した。


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