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【小説】グレープフルーツムーン#3


 英理奈さんのケータイ番号を無事ゲットしたものの、散々悩んで時間をかけたにも関わらず、結局その日ライブに来てくれたお礼と次のライブの告知というありきたりなメールしか送れなかった。英理奈さんからの返信もそれはそれは事務的な内容だった。
 その後も彼氏のいる年上の女性に気軽にメールを送るのを躊躇い、一日に何度もメール画面を開いてみては閉じて、やがてあれこれ考えるのもめんどくさくなって、結局最初のメール以来何のやりとりもしていない。
 英理奈さんの方からメールや電話が来ることも無かった。


「あの後どうだった?えりなさん、だっけ?」

 ライブから数日後、スタジオ練習終わりに行った居酒屋で席に着くなり斉藤がそう聞いてきた。スタジオ練習後行きつけの居酒屋で打ち合わせという名の飲み会がしばらく恒例になっている。

「どうって、ちょっと話しながら駅まで送って、それだけだけど。あの後すぐオレちゃんと打ち上げ会場戻ってきたろ」
「その後だよ、まさかおまえ、ケータイの番号聞かなかったのか?」

 湊が呆れ顔で言う。

「いや、それは、聞いたけど」
「なんてメール送った?」
「普通にお礼と、次のライブの告知?」

 何で馬鹿正直に洗いざらい喋ってしまってるんだろうオレ…。

「ほんとに普通だな。会う約束とかしてねーの?あれから何日経ってんだよ」

 そう言うと最初の一杯を飲み干した長田が「すみませーん」とすかさず次のビールを注文をする。小原は見たいアニメがあるからと今日は欠席だ。

「彼氏持ちなんだから、そんな気軽に誘えないって。つーか、オレ別にそういうつもりじゃないし…」
「えぇー?ホントに?ボクは別にいいと思うけどなぁー、結婚してるなら確かにちょっとアレだけど、彼氏いるくらいでそんな気にする?友達の彼女とかでもないんだし」
「オレは、気にする…、というか、めんどくさいってなる。いちいち比べられたりされんのかなーって」
「それは元カレでも一緒じゃね?斉藤も言ってたけど、友達とか知り合いの彼女じゃなきゃオレは行くかな。どこの誰だか知らない男に遠慮しねーし、ちょっと人のものに手ぇ出すの、興奮しない?」
「はぁ?マジか?オレ彼女出来ても長田には絶対紹介しない」
「だから身内の彼女には行かないって。ところで湊は?今彼女いないんだっけ…」
「オレはデビューするまで彼女つくらない」
「何だそれ、バカじゃねーの」

 やっと矛先が逸れた。当事者であるはずのオレがずっと黙り込んでいるのもお構いなしでまぁ勝手な事ばかり言いやがる。オレが考え過ぎなのか、こいつらが考え無さ過ぎなのか。まぁ他人事ならきっとオレも面白おかしく冷やかしてネタにしてたろうな。そんなもんだし、実際、そんな大したことじゃない…。


 次のライブにも英理奈さんは一人で来てくれた。
 翌日朝から予定があるからとその日の打ち上げは断られた。予定が何なのか気にはなったが聞けなかった。
 打ち上げ後、常連の女の子の一人に誘われて何となくついて行ったけど、どうにもその気になれず酒の飲み過ぎを言い訳に途中で止めて寝た。


 翌日は土曜日だったが、珍しくバイトも無く特に予定も無かった。何処かに出かける気にもならなかったので、久しぶりに自宅でのんびり過ごしてみる。ギターを弾いて好きなバンドの動画を見てマンガを読んで…。それにも飽きて2階にある自分の部屋を出て1階に降りる。リビングのドアを開けると、もうそろそろ陽が沈みかけているというのに灯りも付いていなくて人の気配もない。そういえば今日は両親揃って出かけるとかで夜遅くなるから家に居るなら夕飯は適当に食べろと朝方帰宅した時に言われていたのを今思い出した。昼飯もろくに食べていないのでさすがに腹が減った。冷蔵庫を開けてみるもすぐに食べられそうなものは何も無い。面倒だがコンビニに行くしかないか。
 オレが就職活動もしないでバンドとバイトに心血を注いでいるのを当然家族はよく思ってはいない。家族、というか主に母親だ。
 大学に入学してから割とすぐ家にはほとんど帰らなくなり、夜中や朝型に帰っても部屋で寝るだけで起きたらまたフラッと出て行く。もちろん家族と会話する機会なんてほとんど無かった。とはいえ元から母親と不仲だったわけではなく、帰って来ないオレの分も毎日のように夕飯は用意されていたので、翌日の昼にそれを食べてまた出かけて行くことが多かったが、最近はそれも無い。
 きっかけは半年程前、オレの生活態度にいよいよ限界だった母親がたまたま荷物を取りに帰っていたオレをとっ捕まえて就職はどうするの?と詰め寄った時だった。必要な物を取りに帰っただけであまり時間に余裕が無かったオレもイライラしていてつい口論になった。さすがにお互い手は出なかったが、売り言葉に買い言葉、まぁまぁの怒鳴り合いをした。以来必要最低限の会話しかしていない。
 父親は息子のオレから見ても根っからのお人好しで幼少期から怒られた記憶はほとんどない。2つ上の姉と共にオレは父親には溺愛されて育ってきた。母親はそれがまた気に入らない。自分ばかりいつも悪者にされるからだ。それがわかっているから母親の手前はっきりとは言わないが、父親はオレのやりたい事を密かに応援してくれている。
 姉は就職してさっさと実家を出て今は彼氏と同棲中らしい。もう2年近くまともに会っていないし普段は連絡もお互いほぼしない。

 コンビニに行くため一度自室に戻り財布とスマホを手に取ると新着のメールが届いているのに気が付いた。画面に映る通知を見た瞬間、心臓がドクンと大きな音をたて、スマホを持つ手が微かに震える。
 英理奈さんからだった。  

【今日バイト?】

 たったそれだけのメールでも勝手に顔がにやける。自分を落ち着かせるためにも3分程間をおいて、

【今日は休みです、ヒマしてます】

 と返信した。既読になった瞬間画面を閉じて待つ。 

【飲みに行かない?】 

 信じられない文字が目に飛び込んできた。

【いいですね、ぜひ】

 と努めて冷静に返信したが、オレは一人で雄叫びを上げていた。


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