【小説】ヒア・カムズ・ザ・サン#8
まさかと思いながらも完全に否定する事も出来なくて、彼が来たらそれとなく聞いてみようと思っていたけれど、阿部さんが訪れた日からライブ当日までの間彼が店に来る事は無かった。
彼の連絡先も知らないので私はライブに行く行かないの返事すらも出来ていなかった。
そして、ライブ当日…。
その日ロックバー『ドアーズ』でも弾き語りのライブが行われていた。樋口くんは今日は友人の結婚式に出席するため休みで、マスターの奥さんが入ってくれている。樋口くんがお休みなので必然的に私が出勤になった。
出演はこの店では馴染みの2組でお客さんもオープンしてスタートまでの間にほぼ入ってくれていて途中から来る人はほとんど居ない。
ライブ中はオーダーも少ないのでその間また私はついリナの事を考えてしまっていた。
終わった事だと話してくれた事を蒸し返すのも憚られ、その後リナから話を振られる事も、私から改めて聞くような事も無く、リナとあの話をしたのはその一度きりで私もわざわざ思い返すような事も無かった。
…もし、リナのあの時の相手が彼だったとして、何処でどうやって出逢ったんだろう。リナが自らライブハウスへ行ったり、ましてやバンドマンと関わったりするなんてあの頃のリナからしたらまずあり得ない。けれど、もしそれを可能にしてしまう何かがあったとしたら、リナがハマってしまうのには納得がいく。彼は60〜70年代の洋楽が好きで、特にビートルズが好きで、お酒とレコードが好きで、リナとは間違いなく趣味が合う。それに、あの姿でギターを弾いて歌われたら、……そうだ、やっぱり、リナはどこかで彼のライブを観たのかも知れない。大学生の頃はカバー曲も演っていたと言っていた。それも、『ヘルター・スケルター』を。もしリナがそれを観ていたとしたら…。
あり得ないと思っていた事が確信に変わって行く。
午後8時を過ぎた。どうしても確かめに行かないと…。
「……マスター、ごめんなさい、少しだけ抜けていいですか?1時間、いえ30分程で戻ります」
「え?」
マスターの返事を待たずに私はチケットの入ったバッグを持って店を出た。
ライブハウス『HARVEST』は駅の反対側にありここから徒歩で約15分、急げばもう少しはやく辿り着ける。1曲でも観られれば充分だ。
行き交う人々の間を抜けて『HARVEST』を目指す。受付でワンドリンク代を払い中へと入って行く。
久しぶりに嗅いだライブハウス独特の匂い。フロアはほぼ人で埋まっていた。
ステージでは今まさに彼のバンドのライブが始まるところだった。
ギブソンレスポールを手にマイクスタンドに向かうその姿に胸が締め付けられる。
―会えばわかるよ―
SEが終わり彼がギターを掻き鳴らし歌い始めるとフロアから歓声が上がって拳を突き挙げた大勢の人がステージ前方へ押し寄せて行く。
私はその場に立ち尽くし、ただ呆然とその姿を見つめていた。
…やっぱり、リナはこれを観たんだ。
「………浅野さん」
結局私は彼のライブを最後まで観ている事が出来ず途中でライブハウスを後にした。あの後CDリリースの話をして会場は大いに盛り上がっただろう。
逆に私の心は沈みきっていた。うちの店の様なライブバーとは違う所謂ライブハウスに行ったのはおよそ8年ぶり、…それも浅野さんの最後のライブだ。もう思い出したく無かったのに、こんな型で思い出してしまうなんて。
下を向くと勝手に涙が出そうになるのを必死に堪えて私は『ドアーズ』に戻り、マスターと奥さんに勝手をしたお詫びをして時間までいつも通り仕事をこなした。
優しいマスターは何も聞かなかった。
阿部さんに連れられて来てくれるかなと少しだけ期待をしていたけど、私のいる時間に彼が現れる事は無かった…。
「悪くはない、けど、良くもない。…わかってるな?」
ライブを終え引き上げて来たオレたちに、と言うかオレに阿部さんはそう言ってきた。
「……はい」
「はっきり言って、これからは甘えは許されない。力のない者はどんどん振り落とされる。今日みたいな内容ではおまえはすぐに付いて行けなくなるぞ。……何とかしろ」
「…すみません」
「後で『ドアーズ』行くか?少しあの店の緩い空気に癒して貰え」
「いや、今日は、止めときます」
今日は出来れば理香子さんに会いたくない。こんな情け無い自分を見られたくない。
「…まぁいいけど、打ち上げではもうちょっとマシなツラしとけよ。今日はうちの社長も来るんだからな」
「はい…」
ポンっとオレの肩を叩いて阿部さんはオレから離れて行った。
「…阿部さんは一番良い時のおまえを初めに見てしまったからなぁ、どうしてもハードル上がるよな。まぁオレからしたら今日は良い方だと思うよ」
側でオレと阿部さんのやり取りを見ていた長田が声をかけてきた。
「おまえがそう思ってくれるのはありがたいけど、オレも納得してないよ」
初めて『HARVEST』のステージに立った時のあのパフォーマンスをオレはどうしたって超える事が出来ない。あれからもう2年近く経とうとしているのに。
「インディーズデビューを前に焦る気持ちはわかるし、それはオレも一緒だけど、ただ、無理はするな。無理してた時のおまえが、正直一番酷かった」
「……わかってる」
オレが燻っているこの2年近く、うちのメンバーと阿部さんはオレを見放す事なく本当に辛抱強く待ってくれた。インディーズデビューの話が本格化してきた頃、少しはマシになっていたんだ。オレにだって自覚はある。メンバーと、自分達のやりたい音楽と、それを聴きに来てくれる目の前の人達としっかり向き合って来た。
やっとここまで来たんだ。
「…わかってんなら、吐き出せよ。…あの時みたいに」
「それもわかってる。…けど悪い、正直言って、オレ自身ここまで落ちてる理由が自分でもまだよくわかってないと言うか…」
心当たりが無いわけでは無いが、まだそれをどう説明して良いかわからない。
「もう少しだけ時間がほしい」
CDリリースまではもう本当に時間がない、何とかしないと…。
「…わかったよ。けど本当にヤバくなる前にちゃんと頼れよ」
「…あぁ」
長田だけじゃない。湊も小原も斉藤も、みんなオレを信じてここまで一緒に突っ走って来てくれたんだ。
こんなとこで止まっていられるか…。
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