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はる

 私は春に生まれた。なので名前は「ハル」。安直かもしれないけれど、この名前で26年間も生きてきたのでもう馴染み深い。ちなみに妹の名前は「ヒカリ」。光が強い日に生まれた訳ではなく、光輝く人生を送ってほしいと願いを込めて「ヒカリ」。これを聞いたときはさすがに力ない笑みを浮かべるしかなかった。

 そんなこんなで生まれてからもう26回目の春がやってきた。今年は早く桜が咲いたので、4月に入る頃にはもう散り始めていたが、それでもやっぱり毎年誕生日に桜を見ることができることは素晴らしいことだと思う。私の心はこの日を堺にきれいに生まれかわることができるのだ。

 25歳は散々な一年だった。学生の頃から付き合っていた彼に振られ、飼い猫を亡くし、お気に入りだったタンブラーを壊し、財布を年に三回も落とした。その中でも一番嫌なことは、私が花粉症を発症したことだった。

 春。それは別れと出会いの季節。そして多くの人の目や鼻から液体が流れる季節。薬を忘れた日にはまともに活動できなくなってしまった私はすっかり春が嫌いになってしまった。

 春が嫌いになる私。それは私なのかしら。ハルが春を好きじゃなくなることは、なにかがおかしい。それは自己存在の否定にも繋がりかねない! ヒカリが光を好きじゃなくなることと同じだ。まあ彼女の場合は大の日光嫌いだけど。

 早急に春を好きになる必要が出てきたので、しっかりと薬を飲んで、この26年間で積み上げてきた知識を総動員して春を好きになろうキャンペーンを独自に始めた。まずは気温を褒めることにした。

 「いっちばん過ごしやすい気温じゃん春は。」とか、「冷たい空気の中に暖かい風。最高だね。」とかを日向ぼっこ中の公園の葉っぱに話しかけてみた。葉っぱは揺れて同意を示した。同意の仕方が気に入らなかったので、葉っぱを毟って公園の地面に並べて笑顔を作ってみた。毟ったときに傷ついた自分の指をなでながら、春を考えた。待ち遠しいな。

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