見出し画像

朝焼けに誓う


 大学生の頃から付き合っている彼と、同棲をして5年が経つ。


 彼ーー彰とは軽音サークルで知り合った。同学年だが違う学部の彼は、ギターをいつもかき鳴らしていた。聞いている曲はヘビメタ系の激しいものが多かったが、とてもおおらかで優しくて、辛いものが苦手だった。ベースを担当していた私は、彰から誘われて外部の演奏に加わったり、ライブハウスに行って他のバンドの鑑賞をしたり。そうしていくうちに惹かれていって、付き合い始め、どちらからともなく同棲の話を持ち出して、一緒に住み始めたのだ。そして、大学を卒業するときに、私と、彼と、そして軽音サークルの仲間の何人かでヴィジュアル系のバンドを組んだ。

 目元を真っ黒に塗って、普段は絶対つけないような色のカラコンをして、耳にはこれでもかと言うくらいにピアスを開けて、髪も派手な色や形にして、黒い口紅をつける。チークは塗らない。服装はふわふわしたものではなく、黒い革製品などを身につけるなど、ロックでクールな服装が多い。歌う歌詞は切ないもの以上に、意味深で怪しいものばかりだった。

 でも、それでも、仲間たちのキーボードやドラムと、彼のギター捌きでどんなスターにも負けない音になるのだから。それが面白くて、バンドだけで食べていけなかったとしてもみんなで走り続けてきた。

 4年続けたバンドもやっと軌道に乗り始めてきた。最近は私たちみたいなビジュアルのバンドは少なくてなかなか受け入れられなかったけど、だんだんライブハウスにも人がくるようになり、YouTubeでも再生回数や温かいコメントが増えた。
 インディーズでずっとやってきたけど、メジャーデビューも夢じゃないな。そんな話がバンド内に上がってくる。メジャーデビューしたらメディアの出演も多くなって忙しくはなるけど、知名度も上がってやれることが今以上に増える。バイトだってしなくてもいいかもしれない。

 それでも、私はメジャーデビューをすることにどこか迷いがあった。もちろん売れたいし音楽だけで食べて行きたい思いはある。それでも、インディーズでやってく良さももちろんあったし、小さい規模だからこそ見にきてくれた人と一体感が持てる気がした。メジャーデビューをすることでそれがなくなってしまう気がして、少し怖かったのだ。


 バンドの練習が終わり、私たちは同じ家に帰る。濃いメイクを落として、私が息をついていると、

「しー、お疲れ。これ一緒に食べよ」

 彰がプリンを両手に1つずつ持ってきた。帰る途中でコンビニに寄った際に買ったのだろう。普段は料理が好きな彰が作ってくれるけど、今日は遅くまでやって疲れたのでコンビニで弁当を買ったのだ。

 バンドでの彰はギターを時に激しく、時にクールに弾いているのに。家ではホワホワしていて癒しを与えてくれる。しー、とは私の名前である汐梨(しおり)からそう呼んでいる。他の人はそう呼ばない、彼だけが私をそう呼ぶ。

「お、買ってくれてたんだ。これ美味しいんだよね」

「しーそれ好きだもんね。デザートで食べよ」

 彰はそう優しく笑う。付き合った当初みたいな初々しさはなかったとしても、彰はずっと私に温かい光を差し込んでくれていた。

 これだけ同棲していたら、どこかで結婚のタイミングもあってもいいんじゃないかと最近思い始めるようになった。彰となら、どうなっても一緒に歩める。彰の優しさと温かさに包まれてゆけるなら、どれだけ幸せだろう。私がどうなっても、彰なら支えてくれる。

 でも、彰はなかなかプロポーズと思えるようなことを言わなかった。周りが結婚していく中中途半端な関係でいるのも正直辛い。彼は不器用なところもあるし、何よりバンドも軌道に乗っている今それ以外のことは考えられないのかもしれないが…。


 その日は食事が終わってすぐに風呂に入り、そしてぐっすりと寝入ってしまった。本当に疲れていたんだなと強く思えるくらいに、電気を消してからの記憶がまるでない。
 ふと目が覚めると、まだ太陽が登る前のようで薄明るかった。隣には彰がスヤスヤと寝息を立てている。あどけないその寝顔に少しだけ笑いかけて、私は起き上がって上着を取り、ベランダに出た。

 朝のひんやりとした空気が、寝ぼけた体に入り込んでいく。新聞配達のおじさんが原付に乗って朝の風を切っていくのが見える。こんな朝から働くなんて、本当に大変だなあ。そう思いながら私は息を吐いた。

「おはよう」

 後ろから声が聞こえて振り返ると、彰が眠たそうに頭をかきながら私の隣に立った。

「おはよう。起こしちゃったかしら」

「大丈夫だよ。でも、しーがこんなに朝早いなんて、珍しくない?」

 そうだね、と言って私はまた朝の街に目をやる。眠っていた街が、少しずつ起き上がる瞬間。朝が苦手でかなり遅くまで寝ているけど、早起きが得だと言われる理由がわかった気がした。

「なんか、目が覚めちゃったんだ」

 そっか、と彰がつぶやくように言うと、私と同じように景色を眺め始めた。彰の少し長い髪を弄ぶように、風が吹いていた。

「寒いよね、中戻ろっか」

 私がそう言って戻ろうとすると、

「俺は大丈夫。もうちょっと一緒に見ていようよ」

 彰も朝は強くないはずなのに、珍しい。私は、うんと頷いて隣に戻った。

 しばらくお互い黙って外を眺めていたが、彰が口を開いた。

「俺さ、しーのベースが本当に好きなんだよ」

 今まで彼からそう言われたことがなかっただけに、驚いた。音楽の話なんて今までたくさんしてきたはずなのに、こうやって自分たちの担当する楽器やパートに関しては言及したことがなかったのだ。

「そうなの?」

「俺、高校も軽音部でさ。でも大学じゃもうやめて適当に過ごそうって思ってたんだよ。その方が楽だし、バイトだってしたかったし。でも、たまたま通りかかった軽音サークルの部室からすごいかっこいいベースの音が聞こえてきて、覗いたらしーが弾いてた。あの日から、しーの音にも、そしてしー自身にも惹かれてたんだよ」

 初めて打ち明けられる事実に、驚きが隠せない。告白をしてきたのは向こうからだったから納得できることもあったが、入部の希望が私だったことは初めて知った。

「ベースってさ、バンドで1番重要だって俺は思うんだよ。もちろんどのパートが欠けてもだめだけど、ベースがいるいないってかなり大きい違いじゃない?」

ー汐梨のやつ、全然聞こえてこなかったんだけど。お前弾いてたん?

 高校の時の元彼の言葉を思い出す。私も彰と同じように、軽音部に所属していた。当時付き合っていた彼は運動部だった。学園祭の時の発表の時、彼は1番前に座って私の演奏を聞いてくれた。終始怪訝そうな顔をしていた。演奏のクオリティそのものは低くは無かったはずだ。選曲もマイナーなものではなかった。なぜそんな顔をしていたのかわからず、他の部員とも首を傾げていた。

 演奏後、合流した際にどうしたのかと聞いたら、そうやって言われた。ベースの音量が小さかったのだろうか。いまだに原因はわからない。でも、その言葉が私の心に重くのしかかり、離れることがない。

 音楽をやっていない人たちからしてみたら、ベースなんて地味なものなのだ、と思われているんだ。

 頭ではそんな人ばかりではないとわかってはいても、一度作られた傷が塞がることはなかった。

 私は、息を吐きながら
「私なんて、うまくもなんともないよ。音楽自体は好きだからここまでやってるけど、正直自分の音に自信なんてないからさ」

 私はそう言ってから、自分が高校生だった時の出来事を全て話した。彰には初めて話すはずなのに、彼は驚いた顔を一つも浮かべず、私の顔を見ながら優しく相槌を打っていた。

 一通り話し終えると、彰はそうだったんだ、と言って、

「しーは、その思い出にずっと縛られてるんだね」

 その言葉にハッとした。たかだか元彼の、しかも音楽の知識も関心もほぼないような男からの発言なんて、忘れることもできたはずなのに。私はそれに何年も傷付き続けていたのだ。ただ、そうだとしても。それくらい衝撃的かつショックな発言だった。

「でも、しーはそれに縛られてても、軽音サークル入って、今でも音楽やってるじゃん。しかもプロになってさ。そこで辞めることもできたはずなんだよ?だから、自信がなかったとしても、音楽が好きだからやってこれたんじゃない?」

 彰はそう言って、私の髪を撫でる。細長くてゴツゴツとした指が、私の髪をといていく。

「それに、しーがどんなに自分の音に自信がなくたって、俺はしーのベースが1番好きだよ」

 彰の暖かな言葉に、心がどんどん温まっていく。朝のひんやりとした空気から私を守るように、優しく包み込んでくれる。

「…嬉しい。ありがとう」

 私は、そう言って彰にもたれかかってみる。彰は、ゆっくりと私の腰に手を回した。

「ねえ」

 彰が小さく私の耳元で言う。

「ん?」

「結婚しよう」

 えっ。

 あまりもの突然の言葉に、私は彰の顔を見上げた。彰は、照れたように笑い、

「ずっと、言いたかったけど。なかなかタイミングなくて。バンドもこれからって時だけど。でも、俺はずっと、しーの隣で生きてたい。しわくちゃになっても一緒に笑ってたい」

 涙が溢れた。ちょうど朝日がのぼって、涙が光に反射して視界がキラキラしている。

「え、泣いちゃうの?え、なんか俺酷いこと言った?」

 わかりやすいほどに動揺する彰。何もひどくない。酷いわけがないじゃないか。

「ううん、違うの。でも、こんなに待たせたのはちょっと酷くない?」

 涙を拭いながら言う。

「ごめん。俺がチキンだからさ」

 笑えてもきてしまう。私は溢れてくる涙を拭いながら、

「はい、よろしくお願いします」

 それから4ヶ月後、私たちのバンドはメジャーデビューを果たした。CDの売れ行きも好調で、いい出だしを踏めた。今度、ライブがある。そこまで大きい箱じゃないけど、それでも今までの箱よりはずっと大きい、憧れの舞台。

 自信がないのは、今でも変わらない。今だに、縛られている部分もある。

 けれど、彰の言葉が、今まで下向きだった私の顔を上へと向けてくれた。

 素敵なあなたと、これからもずっと。音楽も、それ以外の人生も。

 私も、あなたのギターが1番好きだよ。


〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?