4歩歩いた先にコーヒーがある 2
午前中、仕事をしていると、
「お疲れ。今日一緒にお昼でもどう?」
と、上司である静香先輩が話しかけてきた。時計を見るともう12時前。そろそろ昼休憩だ。
「あ、はい。ぜひ!」
私は鞄からお弁当を取り出し、一緒に食堂へと歩き出した。
短大を卒業したと同時に私は、今の花の市場関係の会社に勤めている。当初は早朝から競りの現場に出て手伝ったりとかいろいろやっていたけれど、体力的にも精神的にも追い詰められてしまった。そんなときにこの静香先輩が事務に来ないかと誘ってくれた。元々パソコンは得意だったしかなり性に合っていたみたいで、今では最初の頃が嘘みたいに仕事が楽しくなっている。
静香先輩はお弁当を持ってきていないようで、食堂で食事を頼んでいた。私は先に席を取って先輩を待つ。
しばらくしてラーメンをお盆に乗せた静香先輩がやってきた。
「あら、菫ちゃん、お弁当持ってきてるの?」
「はい。一応」
「偉いわねぇ。もしかして、彼氏に作ってもらったの?」
静香先輩は、私に彼氏がいて同棲していることを知っている。私に巡さんのカフェを教えてくれたのも、この人だったのだ。
「は、はい・・・」
体が熱くなるのを感じながら私は返事をする。それを見て静香先輩は優しく笑い、
「ふふふ。仲良しそうで安心したわ。つきあい始めてからあなた顔つき変わったもの」
静香先輩はそう言ってラーメンを食べ始めた。
私は料理があまり上手ではない。同棲をする前は一人暮らしだったから自炊もしていたけれど、作るのが面倒になってテイクアウトやインスタント食品で済ませることが多くなっていた。そんな私を見て巡さんは「俺が作るよ」と言って、文句も言わずに作ってくれている。
・・・でも、それでもいいのだろうか。
「静香さん」
「ん?」
「料理ができない女って、嫌われちゃいますかね・・・?」
「何急に」
「巡さんは私が料理下手なのわかってるからこうしてお弁当も作ってくれるし、普段の食事も作ってくれるんです。でも、それって本当に良いのかなって。このままで良いのかな、って思っちゃうんです」
私がそう話すと、静香さんはそうねぇ、と言って、
「女だからって料理ができなきゃいけないわけじゃ無いけれど、たまにはあなたがご飯を作ったら喜んでくれるんじゃないかしら?」
「たまには、ですか?」
「そうよ。まああなたが思うなら毎日作っても良いかもしれないけれど、あの子は人の世話を焼くのが好きな子だからね。小さなサプライズ感覚でやれば、きっと喜んでくれるわ」
*
迷った末に私はカレーライスを作ることにした。あの後静香さんと話して、カレーだったら切って入れて煮込むだけだから簡単だよと言われ、そうすることにしたのだ。
今日は巡さんは20時まで帰ってこない。一方の私は遅くとも4時には上がる。その間に最高のカレーライスを作っておきたかった。「え!いつの間に料理練習してたの?偉いね、菫!」って言ってもらえるように(ちょっと子供っぽいけど・・・)。
しかし、巡さんに料理を頼りすぎていた今の私には、カレーライスを作ることすらも困難だったようだ。まず野菜を切るのは苦手だった。タマネギは目にしみるし、野菜と一緒に自分の指まで切りそうで怖かった。お米の方は普通に炊けてはいる。結果的に煮込んでカレールーも無事に投入できてもいる。しかし、家の台所は戦場と化していた。お皿に盛り付けて、帰りを待つだけ!にしたかったが、容赦ない量の片付けがある。皿洗いは手伝っていたはずなのに、どうしてこうも手際が悪いんだろう。途方に暮れていたときだった。
「ただいまー」
なんということだ。巡さんが帰ってきてしまった。もうこうなってしまったら片付けているわけにも行かない。完璧を装わなければ・・・。
「おっ、お、おかえりー!」
私はとっさに迎えに行く。
「なんか良いにおいするじゃん。もしかして、ご飯作ってくれたの?」
「うん!カレー作ったよ!」
「わぉ、菫の料理なんていつぶりだろう!楽しみだなぁ」
ここで私はとっさに思いついた。巡さんがお風呂に入っている間に片付けを済ませてしまおうと。
「巡さん、先お風呂入る?」
しかし巡さんは、
「いや、先にご飯にしたいな。菫の作ったご飯食べたいし!」
失敗である。
リビングに行くには台所の横を通らなければいけないので、戦場の様子がばれてしまう。それはいけない。最後まで私はできる女を演じたい。
「もう盛り付け済んでるから先にどうぞ!」
こうして台所の入り口に私が立っておけば巡さんからは台所が見えづらいだろう。大丈夫。ばれない。
案の定、
「わかった」
と笑いながら私の前を通った。計画は成功である。
巡さんは鞄を下ろすとすぐに食卓に座った。私も巡さんの向かいに座る。
「カレーか!おいしそう!食べて良い?」
「うん!食べて!」
巡さんはいただきます、と言うとそのままカレーをスプーンですくい口に運んだ。こうしてみると野菜大きく切りすぎてるな・・・。
「おいしいよ!野菜も大きくて!」
「それあんまり言わないでよ!」
「はははっ。それがおいしいんだよ」
そう言って笑って食べてくれる。ああ巡さんのこういう優しいところがかっこいいんだよな、好きだな、と改めて思った。
しばらく食べ進めていると、
「おかわりするねー」
と、巡さんが立ち上がった。
「そんなおいしかったの?」
「菫の料理が食べられるのが嬉しいんだよ」
胸がじんと暖かくなる。頑張って作ったかいがあるしかしすぐに台所の状況を思い出した。まずい、一刻も早く彼を止めなければ・・・!
「あ、待って!」
そういったときには時すでに遅し。巡さんは台所にいた。
どうなってしまうだろう。小学生の頃、普段お母さんがご飯を作っているけどたまにはお父さんが作るよ、と父が意気揚々と食事を作った。しかし父は料理下手で、何を作ったのかは覚えていないけれど確実においしくないものだった。そして何より、台所が殺人でも起こったのか?というくらい汚くて、母がその後小言を言いながら掃除をしていたのをよく覚えている。
巡さんも、あの日の母のようになってしまうのだろうか。怖いなぁ、巡さんは普段怒らないから絶対起こったら怖い。普段怒らない人が怒ると怖いのは世の常だ。
どきどきしながら、
「じゅ、巡さん・・・」
すると巡さんは「アハハ!」と笑って、
「菫、もう最初からわかってたよ。こうなってることくらい!」
「え?」
「だって菫やけに目泳いでたし、さっき台所塞いで俺に先にリビングに行かせてくれ時にちょっと見えたもん」
な、何ですって・・・。それはそれで嫌だ!
「そ、そうだったの・・・?!」
「しょうがないじゃん。これから慣れていけば良いんだから。ご飯食べたら片付け俺がやるからさ」
巡さんはそう言って私の頭をなでる。なんかそれが申し訳なくて、
「ううん、汚したの私だし、私が片付けるよ。巡さんだってさっき帰ってきたばっかりで疲れてるだろうし・・・」
巡さんは盛り付けを一通り済ませると、
「それは、菫もおんなじでしょ。それともそんなに気になるなら、一緒に片付ける?」
優しいまなざし。幾度となく見てきたけど、私はこのまなざしに惚れてしまったんだよな。
「うん!」
巡さんは優しく笑って、リビングに戻って食卓に座る。私もまたカレーライスを食べ進める。分厚いにんじんを噛みながら思った。
これから少しずつ、料理頑張っていこう。次こそはもう少し完璧な女に近づけますように。
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