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『生き続けて』

 早朝、妻と別室で寝ていたはずの6歳の息子が走って私の部屋の扉を開けてきた。驚いて起き上がると、私はすぐに息子と目が合った。その瞬間、息子は声を上げてわんわん泣き出した。突然の出来事で私はビックリしたが、時間をかけて息子を落ち着かせ、どうしたのかを聞いてみた。すると息子は少しためらった後、私が死んでしまう夢を見たと話し始めた。話しながらも、まだ幼い息子は震えながら泣き続けていた。
 
 胸に突き刺さるような思いだった。
 
 なぜなら、私が「消えたい」と口にしてしまうことが原因だとすぐに痛感したからだ。
 
 
 私の闘病の始まりは、原因不明の体の病からだった。食あたりのような腹痛と下痢が止まらず、専門病院や大学病院で検査を繰り返しても原因は特定できなかった。やがてどんどん私の体重は痩せてゆき、元々細かった体は20キロ近く落ちて骨と皮だけになった。そんな闘病を続けること2年、いつまでも終わりが見えない苦しい生活に心が折れて精神を病み、寝たきり状態の日々となった。以後心身を病んだ私は、自分をコントロールできず、物理的にも精神的にも妻に支えられながら生き抜く日々となった。
 
 
 最近認識力が上がってきた息子の前では、なるべく取り乱さないようにしたいと常々願っていた。無邪気に笑う純真な息子には、できるだけマイナスの影響なくスクスク育ってほしいと思う親心は私にも当然ある。だが、大概苦しくなるのは息子が家にいる夜だった。頭では、ダメだと言うことを理解している。子どもの前で、そんな発言はご法度だと重々承知している。しかし、心が言うことを聞かないのだ。長い心身の闘病の日々に、心が「もう生きるのが辛い!」と泣き叫び始めてしまうのだ。
 
 もちろん、生きようとする心も当然ある。だが、それ以上に「闘病の人生から逃れたい」という心が自分を支配してしまう。病気の苦痛や体の不自由による辛さ、将来への不安や悲観…、心はいろんな思考がぐちゃぐちゃに混ざって嵐のように荒れ狂う。そうなると、「辛い、もうダメだ…」という気持ちが津波のように心を襲い、気づけば「消えたい」と口にしている自分がいた。
 そんな私の声を夜、息子も聞いてしまっていたのだ。
 
 
 息子はしばらく泣きじゃくった後、私が抱きしめる中でやっと冷静さを取り戻して微笑んだ。
 「こんな愛しい息子がいるのに、一体何を考えているんだ!」そう私は自分を叱咤した。
 「自分をコントロールできないなら、口に出てしまうことは百歩譲って仕方がないとしよう。しかし、実際にそれを行動に起こしては絶対にいけない!そこは地を這ってでも症状に耐え、生き抜いてゆくんだ!」そう何度も心に誓った。
 
 それから、事あるごとに「消えたい」衝動が頭をよぎるようになっても、妻に支えられながら必死で闘うように私はなった。唐突に心へ襲ってくる衝動は、自分で制御しようとしても難しい。急いで頓服の精神薬を口に入れるが、時間がかかるまで妻に何度も声をかけてもらったり、時には両手を縛ってもらって衝動を乗り越えた。衝動は何度も波のように私に襲ってくる。その度に妻に支えられながら、私自身もわずかに使える理性を振り絞って、「息子の涙を思い出せ!」とか「まだやり残したことがあるだろう!」などと、自分を鼓舞して懸命に一日一日を乗り越えていった…。
 
 
 そのような中、私の病状は年月とともに少しずつ変化していった。
 当初続いていた下痢症状はほとんど収まってきたが、今度は精神からくる眩暈(めまい)や吐き気、過呼吸から生まれる痙攣のような震えなどの様々な症状が現れるようになったのだ。体は重くて起き上がれず、心もうまくコントロールできない。身体症状が悪化する度に、「もう辛い…」と心が再び生死の境を漂流してしまう自分がいた。
 だがそんな地獄のような日々の中で、医師の手配によって訪問看護師さんが週2回来て下さるようになった。これが一条の光となった。看護師さんを信頼するまでだいぶ時間はかかったが、やがて心を開けるようになると、妻に加えて看護師さんも私に寄り添い、アドバイスをしてくれるようになった。そのおかげで、私の生きてゆくパワーが一滴一滴と蓄えられていくことになった。
 
 そうして、私が必死に病気と闘ってきたこの間に、もう一つ大きな出来事があった。それが、父の死だ。
 父は病気知らずの健康体で、70歳になっても生涯現役を目指して働き続けていた。しかし、そんな父が突然倒れ、大腸を壊して水も飲めず、原因不明の高熱に4か月間うなされ続けた。それでも父は、最後まで「生きよう」ともがき、病気と闘いながらこの世を去っていった。そんな父の様子を、看病していた母から私はずっと聞いていた。
 何度も手術を繰り返しながら病気と闘う父の姿を伝えられ、私の死生観は変わった。今まで、死は苦しまずできるだけ安らかに迎えたいと願っていたが、父の死を通じて、「苦しくても、最後まで明日を目指して前のめりで命尽きたい」と考えるようになった。父は、病気と闘う精神を私に見せてくれた。父の姿に、私は強く強く励まされた。たとえ死が眼前に迫っていたとしても、少しでも生きようとあがく姿は決して醜いものではなく、命という花火を燃焼しようとする美しさなのだと私には思えたのだ。父の死は辛く受け入れがたいものだったが、生きる勇気や生への執着心という意味では、私にとって大切な経験となった。
 
 
 息子の涙から始まり、妻と看護師さんの支え、そして父の死を通じて、私の心にも少しずつだが生きる意欲が生まれて希望の光が差し込みつつあった。それと同時に、心が荒れて「消えたい」と思う夜も徐々に減っていった。
 その影響なのか、昨年の春頃から寝たきり状態だった私の体が徐々に動くようになってきた。処方される薬や食事内容、生活スタイルはほとんど変わっていない。しかし、今までずっと膠着状態だった状況から一転、回復の兆しが現れてきたのだ。
 もちろん、健康な人に比べたらまだまだの段階ではある。それでも、病床から起き上がり、少しなら外に出ても寝込まなくなってきたことは、私にとって奇跡の回復だった。
 
 今体が動くようになって一年が経とうとするが、未だに妻子と外出できることが信じられず、夢を見ているような錯覚に度々陥る自分がいる。
 あの時涙した息子も、今や小学六年生となった。一緒に外出すると、「パパ、本当に動けてる!すごいすごい!」と、我が事のように喜んでくれる。私はそれが何より嬉しい。闘病が始まってから14年の時が経ち、ようやく私は心から笑えるようになったのだ。
 
 
 この経験から、原因がわからない病気や心の病と何年も闘っている人に私は伝えたいと思った。
 
 どうか、諦めないで生きてほしい。
自分を、決して見捨てないでほしい。
 
 諦めないで生き続けたら、長い闘病であっても、ある時を境に回復していくことがあり得るということを心底伝えたい。
 
 私自身も、常に心に希望を持ち続けた訳ではない。むしろ、絶望していた時期の方が長かった。そんな私であっても、生き続けていたら快方に向かい始めたのだ。だから、僅かな可能性が少しでもあるなら、その可能性に賭けて生きていってほしいと強く思う。
 
 闘病は、辛く苦しい毎日だ。
 長引けば長引くほど永遠のように感じられ、尚更悪循環が生まれてくる。
 私もまだ上がり下がりの激しい回復途上の道のりだ。再び体調が悪化して病床に逆戻りし、「また、あの時に戻ってしまう…」と恐怖する日も数多ある。それでも、諦めずに生きてゆこうと自分に言い聞かせている。
 だから、現在闘病で毎日が苦しいと感じている人たちも、ともに今日という日を乗り越え、人生を積み重ねていけたらと切に願っている。
 そして、一日一日と生き続けたその先の未来に、希望という光が生まれることを心から祈っている。


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