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苦の娑婆を生きる

母は宗教にどっぷり浸かっていた人であった

本当に毎日宗教団体に出掛けていたから、たまに家に居るとこちらがびっくりするような状況だった

とても寂しかったし困った事も多かった幼少期を過ごしたけれど、それなりに成長すると親が居ない自由な環境は楽だったし、いい部分もあった

今みたいにコンビニが近くには無いから、空腹になったら作るしかない

洗濯や掃除も自分でやらなきゃ困るのは自分だ

だから家事一通りはやってきた

自己流で雑で勘違いも多いし、凡そ可愛くお料理が趣味♡な感覚にはならないが、それほど苦痛に感じることなくやるべき事とは捉えている

そして母は他の学友の母親たちとは明らかに違った

夕方にしか帰ってこない母が井戸端会議をする姿を見たことがない

幼い私には、近所の大人の女性が集まって噂話や愚痴を円陣組んでしている姿は、とても異質で違和感があった

学校行事の際、普段着の他の親たちの中で、スーツを着て赤い口紅をつけている母は、子ども心にキラキラとしていて自慢だった

家事をきちんとやらないし、家にもいないが、父を愛し信頼し、常に立てているところも理想的な女性のあるべき姿と思えた

一緒にいる時間が限らているにもかかわらず、すべての話が宗教につながるのはウンザリする事も多々あったが、私自身救われた事は多い

宗教の世界に入ったのは、戦争により翻弄された思春期の母にとって必然だった

その経験を踏まえてつながる母からの仏教の教えは、私自身の人生について、人間の煩悩についての捉え方に強く影響している

多々ある教えの中でこの現世で自分が存在する事について

「この世は苦の娑婆」

この現世は未熟な人間が成熟するための修行の場である

「四苦」=生老病死

苦とは、生きる事、老いる事、病気になる事、死ぬ事

「無常」

すべての物事、事柄は恒久ではない、唯一絶対的な事柄は「すべては必ずいつか死ぬ事のみ」


中学生の私は一時期「死にたい」と思った事がある

ただこれらの教えが私を奮い立たせた

この世は修行の場であるから辛い事があるのは当たり前、生きる事は苦、そしていつか必ず死ぬんだからそれまで精いっぱい生きてやる

と、踏みとどまらせてくれた

それから辛くて現実逃避的に「もう私を殺せ」と思っても、「死んだら楽だろう」と心によぎったとしても、自ら本当に「死にたい」とは思わなくなった

そしてどうせ苦痛や苦労が降りかかるなら、如何にそれらに対処するか考えるようにすればいいと捉えられた

四苦八苦の八苦についての修行は中々辛く、未だに俯瞰して捉えられず、精神まで病んだ訳だけれどね


私の結婚記念日に、父の遺影に向き合って、独り静かに眠るように亡くなった母

少女のような純粋な心を持ち続け、朗らかで可愛く、父から愛された母

母なりに娘たちや孫たちに精いっぱいの愛情を向けてくれた

女としてのあなたは、やはり私の理想です

行動や状況は違っても、私もあなたのように純粋な心でこの現世の修行に取り組みますね



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