この世に存在する事の捉え方
「この世は苦の娑婆」=この現世は未熟な人間が成熟するための修行の場である
この世は修行の場であるから辛い事があるのは当たり前、生きる事は苦、そしていつか必ず死ぬんだからそれまで精いっぱい生きてやる
そう思って私はこの世に存在している
この世に生を享けたのは、自分に与えられた使命があり、それを全うするために修行している
この世に生きる事は苦労を伴う
ただ生まれた事は奇跡
生きられない何万何億の命があり、それに報いるのは、生を享けた者がこの世で自分に与えられた命を無駄にする事なく使命を果たす事
その生命を自ら放棄する事は、最も罪深い
どんなに自分のこだわりや希望が叶わなかったとしても
どんなに辛い事や悲しい事があったとしても
それを経験する事がこの世に存在するという事で、修行という事
すべての物事、事柄は恒久ではない「無常」である
唯一絶対的な事柄は「すべては必ずいつか死ぬ事のみ」
急ぐことは無い、修行を全うしたらならば、その時は誰にも平等に必ず来る
と、自分に対して思っている
だけれど
自分以外の生命に対しては、そう思えない
天寿を全うしたと思えない時
悲しい、もっと生きてほしいと思う
可哀想、もっとこの世でいろいろやりたかっただろうと思いやる
この世でやる修行を万事終えてその時を迎えたのかもしれないのに
もしかしたら今は苦の無い世界に存在するのかもしれないのに
これは実は私自身が「この世に存在する事が幸せな事」だと、捉えているからかもしれない
ただ生きる屍のようになるならば、長生きしたいとは思わないけれど
生きているだけで丸儲け、という言葉に違和感を覚えるけれど
本能的に生きる事へ執着するのが生き物の性なのかも知れないけれど
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