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【嫌悪感の正体】幸せそうな母を見て思うこと


こんにちは^^心理カウンセラー青羽いくです。

みなさんいかがお過ごしでしょうか?
久しぶりの更新となりました。
私は2ヶ月ほど、療養と修行期間を過ごしておりました。

自分と向き合い続けている中で、たくさん書きたいことが出てきてブログの下書きばかり溜まっております。
これからまた少しずつ更新していくので、お時間ある時にお付き合いくださいね^^

今日は、母のこと。先日、実家に帰ったときに今まで見えていなかった色んな気づきがありました。

タイトル通り、幸せそうな母をみてホッとして嬉しい気持ち、幸せな気持ちになりました。
今まで心配症だったり過干渉だったり、家でゴロゴロしている母に対して嫌悪感がありました。
なんかわからんけどモヤっとするし嫌な気持ちになる。

「干渉してこないで!」
「勝手に心配そうにしないで!」
「ゴロゴロしてないでもっとやりたいことやればいいのに!』

とイライラしたり、鬱陶しく思ったり…
母との距離感がわからず、反抗期の高校生のような態度をとることもありました。


”なんかわからないけど”イライラする。大切な人に対して嫌悪感が湧く。
これってすごく嫌ですよね。
できれば仲良くしたい、怒りたいくないし、大切に思っているはずなのにイライラをぶつけてしまう。

私のイライラや嫌悪感の原因って、
「母が幸せそうじゃない」というところにあったんです。

干渉したり心配するのではなく、幸せそうに人生を楽しんでほしい。
ずっと私たちのために頑張ってきたんだから。
私はもう大丈夫だから、自分の人生を生きてほしい。

私の中にそんな本音がありました。

そして、心配そうにする母を見て、
「私は母を幸せにできていない」
「私のせいで、母は悲しんでいる」

と無意識に感じていたんですよね。

無力な自分
いい歳して親孝行できていない自分
親の期待に応えられていない自分

そんな自分を見たくなかった。
つまり、私が感じていたモヤモヤやイライラ、嫌悪感の正体は
「母を幸せにできていない自分」に対しての感情だったのです。




でも最近実家に帰った時
全然違う見え方、感じ方が湧いてきました。

私を迎えに来る車の中で仕事の話をしてくれる母に対して

いつも愚痴っぽくて嫌だな、と思っていましたが
実はとても楽しそうで、仕事に対して真摯に向き合う姿、
職人のようなこだわり

もう70歳近くなりますが、すごく情熱を持って働いているんだなぁ
と尊敬の念が湧いてきました。

家に帰ると、カレンダーには予定がぎっしり書いてあって
「そろそろ梅酒漬けないと!」と楽しそうに話す母
(毎年手作り梅酒を作っています)

ベランダでお花をたくさん育てていて「毎朝お花の成長を眺めるのが楽しい」と話す母
お友達とバス旅行に行った話をしてくれたり、美味しい卵焼きの作り方をネットで調べて私にお弁当を作ってくれる母
(料理は好きじゃないけど娘のために頑張る母)

まとめると、
自分の人生をとても楽しんでいる母がいました。

母が幸せそうじゃない(と勝手にこっちが感じている)時は「私が悪い」と罪悪感やプレッシャーを感じていた私。
それは勝手な趣味(←?!)であって、本当に人は都合よく解釈するものだな、とつくづく感じました。

要するに
結局は自分。自分の捉え方なんですよね。
心理学でおなじみの、自作自演でこの世界を作り出しているということです。

役になてなかった=役に立ちたかった
プレッシャー=期待に応えたかった
罪悪感=幸せにしてあげたかった

どれも、大切な人を笑顔にしたい幸せにしたいという愛の裏返し。
それだけ大好きな存在ってことですよね。

私たちの解釈って、ある一つの側面だけで判断しがちです(ポイントオブビュー)
でも実はその裏側には真実があって、ほとんどの場合その側面を知らない(知ろうとしない)ことが問題を作る原因なのかな、と思います。

パートナーシップや人間関係のちょっとした摩擦・すれ違いも、こんなふうに少しの勘違いとか勝手な解釈でたくさん起こっているんだと思います。

いつでも「それってほんとかな?」と一度疑ってみるのって大事で、そもそも相手は自分と全く違う感じ方、捉え方としていると思っておく方が自然ですよね。


それでは今日はこのへんで^^

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