当たり前を疑ってみる

連休最後の今日は90年代のフランス映画を見た。

宇宙から見た地球の世界を描いた作品「美しき緑の星」

久しぶりに感銘を受けた作品に出会ったので感想を残しておきたいと思う。

美しき緑の星は、豊かな自然と自給自足で助け合う平和な世界。

人々の寿命も250歳とかが当たり前!

そんな星から見た地球はなにもかもが不自然のようで、、、

例えば

・動物の肉を食べること

・物を買うのに貨幣が必要であること

・人間に優劣、上下関係があること

・都市には土がなく、車移動が普通で大気汚染がひどいこと

なんかがそう。

これまで当たり前と思っていたことは、いつの間にか作られた地球のルールのようなもので視点を変えれば非常識だったのだ。

常識を疑ってみる

冷静に考えれば上記に挙げた例は、いずれも代替えがきくものばかり。

・動物の肉の代わりにタンパク質を摂取するなら大豆(穀物)を食べればいいし、命を減らさないで済む。

・貨幣がなくても昔は物々交換で成り立っていたし、貨幣があるから所有欲も生まれ、貨幣欲しさに大量生産が生まれているとも考えられる。

・子供より大人が偉いなんて誰が決めた?子供がいて大人も成長できる。会社の上下関係だって馬鹿らしい。忖度がなければいろんなことがスムーズに運ぶのにね。

・体の不調はコンクリートジャングルや汚い空気によるものかも?硬い地面を歩くために、おしゃれに見せるためにハイヒールを履く。外反母趾、足腰の痛み、足からくる体の不調は現代人は数知れずではないだろうか。

貨幣で買えないものこそ、価値がある

断捨離やミニマリスト、瞑想ブームがあったけど、今回この映画を見てなぜこれらがブームになってしまうのかが腑に落ちた。

これらの行為は余白を生むものであり、情報に疲れた現代人は、本能的に自然に帰りたがっているのだと思う。自分の感覚を無視してはならない。

本来の人間らしい暮らし方がどれだけ贅沢か、今ならわかる。

ブランド品を所有することはステイタスにもなり、確かに気持ちがいい。でもそれは第三者の目があって初めて価値あるものになる気もする。


映画の中でとある女性が口紅をつけるシーンがある。

「これをつけるのはみんなに好かれるためよ」「セクシーに見せるの」というセリフが印象的だったんだけど、いつから人に好かれるためにオシャレを頑張らなくてはならなくなったのだろう。男性から見て女性は性の対象でなくてはならないという無言の圧力も感じる。好かれるとか好かれないとか人目を気にする事なく自分本位で生きていくことがこれからの常識なんだと思う。

そして自然の中で過ごすことは言わずもがなタダである。

海も山もただただ私たちを癒してくれる。そこに入場制限といったルールは存在しない。

元々は自然の中での暮らしが日常だったはずで、グランピングが非日常として人気なのは冷静に考えるとおかしな話なのである。

より多くの人がこのおかしな地球のルールに気づけば、私たちの暮らしは大きく変化するのではないだろうか。それは新しい弥生時代の幕開けになりそう。 




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