2021秋。ふとしたきっかけで花巻東を追いかけはじめた
SNSなどでお気づきの方も多いかもしれないけれど、この数ヶ月、花巻東高校の野球部を追いかけていた。大谷翔平、菊池雄星というMLB選手を輩出したチームへの好奇心、高校野球が好きなこと、理由はいくつかあったのだけど、1番の理由は「コロナ後の心と体のリハビリ」のため。
昨年5月にコロナに感染した。症状自体はあまり重くなかったけれど、後遺症がひどかった。ちょっと運動量を増やすと手足に麻痺が出て、味覚異常もあった。散歩に行ったり、ブルックリンの自宅からマンハッタンに出かけたりしたら、もうイチコロ。やっとのことで帰宅したら、シャワーを浴びてすぐにベッドに直行。翌日に回復すればましな方で、最悪の場合は数日、ベッドで寝たきりのような状態になってしまう。だから「出かけると疲れるからずっと家にいよう。その方が楽」と考えるのは、まぁ当然で、それを理由にゴロゴロぐだぐだしていた。
大好きだったジムもコロナで行けなくなった。もし行けたとしても、思うような練習はできないし、それも精神的に落ち込む要因だった。
問題は、何もしていなくても手足に麻痺が出たりする日。そういうときは気分が激しく落ちて、「もう一生、このままだったらどうしよう」「生きているのがつらい」「こんな人生終わればいいのに」と思うことも。なかなかヘビーな1年だった。
長時間外出することも、働くことも難しいので、五輪も行くのを辞めよう、記者証を返上しようと考えた時期もあった。体力確認のお試しで行った陸上の全米五輪選考会では、西海岸を熱波が襲い、熱中症と疲労で倒れかけた。オフの日に12時間くらい寝ていたら(起きれなかった)一軒家をシェアしていた記者の友達に「大丈夫????」と心配されたくらいだった。
五輪選考会と比べ、五輪はもっと過酷。4時間睡眠が普通、5時間寝られたらラッキーな世界。ああ、無理無理、そんなことしたら倒れちゃう。でも記者証は返上できないし、もう決死の覚悟で(おおげさ!)五輪に行ったのだけど、入国時に成田でトラブルがあり、空港で6時間も拘束された。しかもその間、飲まず食わずだったため、荷物を受け取り、外にでたときは脱水症状になっていた。手足の麻痺も激しくて、空港のベンチで半べそでNYのお医者さんに電話をし、オンライン治療(という名のセラピー)を受けた。異国から号泣して電話する患者など私くらいですよね。先生、ごめんなさい。
というわけでスタートから最悪だった。正直いうと、もうそのまま出国カウンターに行ってNYに帰りたいくらい心身ともに疲弊していた。なんとかホテルにたどり着いたものの、エネルギーゼロ。お医者さんの指示通り、近所のクリニックで点滴を打ち、それから5、6日間は食事以外はずっと寝ていた。入国から2週間隔離の間、浅草寺が見える部屋でエアー観光しつつ毎日ゴロゴロしていたので、五輪までに体力はなんとか回復したものの、始まったら予想通り体調は悪くなる一方。暑いし、暑いし、暑いし、階段の上り下りがきついし、食欲はないし、眠れないし。
午前と午後のセッションの間に国立競技場から徒歩3分の部屋に戻り、昼寝をし、体力をなんとか維持する努力をしたけれど、日程後半では夜遅くに部屋に戻ると、そこで安心してドアの前で気絶したりしていたこともあった。薬も指示されたよりも多く服用していて、はっきり言ってまともな仕事はできなかった。選手のメンタル問題の記事を書いていたけれど、書いているこちら側のメンタルも崩壊していた。
これまでも五輪後は毎回、疲労から寝込んだり、引きこもりになるので、今回もその道に入ることは予想されていたし、心の準備もしていた。でも一方で、そんな状況を続けることもよくないことは分かっていたので、なんとかしないと、とも思っていた。
五輪後、ひっそりこっそり(緊急事態宣言下だったので大っぴらに言えなかった)岩手の実家に帰り、体力が少し回復してきた頃に秋の高校野球地区予選が始まった。無観客試合だけど高校時代の先生が高野連にいらしたこともあり、記者証をいただけた。先生、ありがとう。
実家から花巻球場は電車と徒歩で40分ほど。花巻駅から球場までの道はきれいに整備されていて気持ちがいい。20分くらいの道のりをテクテク歩き、途中に産直でおにぎりやおやつ、セブンイレブンでアイスコーヒーを買っていくのが日課になった。
晴れたり、曇ったり、雨が降ったり。秋の天気は変わりやすい。
コーヒーを飲みながら、スコアをつけ、メモを書き、おにぎりを食べ、スコアをつけ。
試合後は球場に隣接する花巻東の野球部グラウンドで練習や練習試合を見学。
そんな日々を過ごし、少しずつ心も体も元気になってきた。
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