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あのときの私を抱きしめよう

今の自分を見つめていると、過去の自分と点と点がつながる、フリーライターのaoikaraです。

最近、自分が傷ついてしまったことがあった。でも、頭で考えれば、論理的に見てみれば、何も傷つくことはないし、悲しいことも、怒ることもない。そこに事実があるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

だけど、なぜか私は傷ついてしまった。何度考え直しても、「そんなに傷つくことなんだろうか」と頭でわかっているから心に言い聞かせようとしても、つらさや悲しさの棘は抜けず、傷は痛いままだった。

傷つくのが悪いことではないし、傷ついたという感情もまた事実ではあるから、その傷は癒やしたい。でも、なぜ傷ついたのかがわからなければ、また同じことで傷つくのではないか、予想もしていないところで心に大けがを負ってしまうのではないか、不安になった。また傷つくのがこわい。

だから、傷ついたのはなぜだろうと、考えてみた。純粋に、自分としても頭ではわかっていても、心が言うことを聞かないのが、とても不思議だったから。心の言うことを聞きたくなってしまったから。


「なぜ?」をどんどん深掘りしていくと、過去に繰り返し同じことで傷ついてきたと気づいた。しかも、そのたびに傷ついていないフリをしてきたことだった。

最初はチクッとした痛み、小さな傷でも、何度も何度も傷ついて、本当は痛いのに「痛くないよ」ってフリをする。だから、ほんの少しの痛みでも、過去の全ての痛みを感じるように、心が「傷ついた」と叫びたくなってしまっているんだろう、というのが自己分析。

今回だけじゃなくて、「どうしてこんな気持ちになったんだろう」「どうして感情があふれてしまうんだろう」なんてときに深掘りすると、全部過去の自分につながっていて、経験の小さな積み重ねが大きな感情につながっていると気づいた。根深い。

別に大きなトラウマじゃないよ。ものすごく壮絶な経験があるわけじゃない。ただちょっと、人によっては傷つくだろうって言葉や行動で傷ついたってだけ。

だから、過去の自分を傷つけた人を責めたいわけではなく、どこかで相手をかばう気持ちがあって、圧倒的に憎しみをぶつけられないのよ。圧倒的に傷つけられたら、反発もできるけど、そうじゃないから。

その結果、過去の自分も今の自分も全然大事にできてないとも気づく。それが、今の私の傷だ。


だから、過去の私と出会って、小さな傷をいくつも見つけたおきは、「本当は痛かったんだよね」「つらかったよね」「悲しかったよね」と共感するようにしている。

過去の小さな傷のひとつひとつを手当てするように、癒やすように。そうしなければ、今の私とこれからの私が、ずっと苦しんでしまうから。

今とこれからの私が生きていく背中を押せるように、私は、あのときの私を抱きしめよう。

2021年2月18日(木)

No.788

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