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10円だって100円だって、損したと認められない性分

10円と100円損した、フリーライターのaoikaraです。

10円の損は買い物で。「袋をご利用ですか?」と聞かれて、品物が手持ちのバッグに入るか入らないか微妙だったので、「お願いします」と伝えて、袋分の10円が加算された。

改めてバッグを見ると、どうやら入りそうな気配。でも、まあ10円で袋を買ったのだからと、わざわざ詰め替えはせずに、袋に入れたまま持って歩く。

でも風が強くて、品物を入れた袋がバタンバタンと動いて、まあ持ちづらい。これなら袋は折りたたんで、品物は手持ちのバッグに入れればよかった。それでも、なんだか意地みたいに袋を持ち続けた。


100円の損は自販機で。出先で喉が渇いたけれど、何かを飲みに行く時間もなく、飲み物が売られている店もなく、一番近くにある自動販売機で、一番安い水を100円でポチった。

で、よく見ると硬水。硬度が激高い。ミネラルは豊富だけど、硬水でお腹を痛くした経験がある。喉が渇いていてもがぶがぶと飲む勇気はなく、かといって買い直すには遅く、どうしても喉が渇いて仕方ないときだけちびちび飲んだ。

脱水気味の体は万全ではなく、だからといって最近壊し気味の胃腸を犠牲にはしたくなく、ふらふらしながら帰路につく。家に着いてから、軟水をがばがばと飲んだ。水が体に染みていくのがわかるほど、カラカラに渇いてた。

せっかくだけど飲めないだろうと、買った水はなくなく処分した。


10円でも、100円でも、自分がお金を払って得たと思うと、妙に惜しくなる。絶対に選択をミスったのに、損をしたと認めたくなくて、変に意地を張っている。たとえば袋を使い続けてみたり、水を飲み続けてみたり。

ひとつひとつ、ちゃんと考えておけば必要のなかったことなのに、ちゃんと考えなかったから不必要にお金を出して、損をした。損した、と認めたくないと10円でも100円でも思うんだな。

みみっちい?かもしれない。でも、お金には1円だってちゃんと価値があるわけだから、流されずにちゃんと立ち止まって、考えて1円を出さないとね。

「ただケチなだけ」とは言わないで。いや、たぶん私ってケチよ。だけど、お金は大事だよ。よーく考えよう。昔アフラックが言ってたことは間違いないね。

2021年4月28日(水)

No.856

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