“自分”があるかっこよさ
優柔不断なフリーライターのaoikaraです。
もし欲しい商品が2つあったとして、目の前で1時間以上じっくり悩める自信がある。でもそんな自信はいらないのよ。
迷っている時間が連れや店員さんにとって迷惑だろうなと思うときは、事前に調べて決めてからその場所へ行く。でないと迷う。
私はとにかく優柔不断だ。飲食店で案内されて「お好きな席にどうぞ」と言われて、たくさん空いていたらどこにしようか迷ってしまうほど。
おそらく「どこでもいい」から、「どこがいい?」と聞かれても、「どこと言われましても」と思っていて、「なんならどこがいいでしょうね?」と聞きたい気分。だけど私以外の他の人の方がよっぽど「知らんがな」だ。
とある店に入ったとき、私の前に男性と女性の二人連れがいた。店員さんが「お席はテーブルとカウンター、どちらがよろしいですか?」と聞くと、女性が「カウンター」と即決。「どこにする?」といった短い会話を交わすことなく、ものの1秒で決めていた。
次の私はうろうろして、「あ、じゃ、テーブルで」なんていって、テーブルでもどこにしようかうろうろしていた。
いいな、うらやましいな、迷いがない姿。きっと彼女は“自分”がある。「これがいい」が明確にある。「これがいや」も明確にある。だからはっきりわかっている。自分は何がよくて、何がよくないのか。
私はあっちへふらふら、こっちへふらふら。こだわりがないわけじゃない。こだわるところはこだわる。だけど、周りの空気を読んで、状況に合わせて、自分のこだわりをぐんにゃり曲げることも全然しちゃう。
こだわりのないこととなると、「あなたは?」と聞かれても、「さあ、私ってなんでしょう」とすぐにぐらつく。あれあれ、私って結局どうなの?なんなの?何が好きなの?何が嫌いなの?ってなる。
おそらく自分一人で過ごす時間が長くて、一人に慣れている。“誰か”がいる状況に慣れていない。“誰か”がやってくると影響されて、自分で自分がわからなくなる。
生きていながら全ての場面で「“自分”を強く持とう」とは思っていないわけで、不意を突かれるとあっさり自分を見失う。でも、あんまり居心地よくはない。
“自分”をちゃんと持っていたい。私はあの席に座りたいって、すぐにわかるくらいに。直感が働くくらいに。直感の鈍さが私らしさなのかもしれないけれど。そう思いながら、数日間悩んで決めて注文したメニューを食べた。
2021年10月29日(金)
No.1040
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