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想いは見えないけど、形にはできる

コーヒーは好きだけどあまり飲まない、フリーライターのaoikaraです。

胃腸が弱くてカフェインにやられてしまうから。それでもインスタントコーヒーを常飲していたときもあるくらいには好き。体の力が抜けるような、なでるような香りも好き。ときどき飲むと、ああやっぱりおいしいなと思う。


今シーズン見てきた、ドラマ『珈琲いかがでしょう』が最終回を迎えた。毎回、きまってコーヒーが飲みたくなった。ネタバレをしない程度に、考えたことを記したい。

とある登場人物は、「自分は誰からも想われていない」と感じて感情を攻撃的にぶつけていた。でも実は周りからちゃんと想われていた、言葉にされなかっただけで、というストーリーが描かれていた。

もちろん攻撃的になるのは周りを傷つけてしまうからいけない。でも、想われていたと知らなかったら、どうしようもない気持ちをどう消化していいかわからなくて、攻撃的になってしまったんじゃないかと想ってしまった。

行動や態度に想いが現れていたとしても、言葉にしなければわからない。想いがあるはずと信じて違っていたショックを受けるより、最初から期待しないでいた方が傷つかないから、はっきりとした言葉以外は信じられない気持ちはわかる。


相手が何を考えているのか、誰もわからない。表情とか、態度とか、行動とかで察することはできるし、99.9%の確率で当てられるかもしれない。でも100%じゃない。

「そうだよ」って言っても「そうじゃない」かもしれないし、「違うよ」って言っても本当は「違わない」かもしれない。本人が自覚していない本心だってあるかもしれない。相手だけじゃなくて、自分自身の気持ちだってわからない。

でも、誰もが想いを抱いている。それは見えないし、わからない。

でも、形にはできる。言葉にするのはもちろん、絵や音楽で表現するとか、形に残せる。想いはその人がいなくなったら消えてしまうけど、形にしたものはその人がいなくなってもずっと残っていく。


ドラマの中では、“コーヒー”が想いの形だったんだなと思い至った。これだけは打ち込みたいという想い、人生を豊かにポップする想い、ずっと誰かを愛おしく感じる想い、全部が入っている。

コーヒーを教えてくれたその人がいなくなってしまっても、コーヒーの香りと味で「ここにいる」って思わせてくれているような気がした。思い出を蘇らせて、想いを受け継いで、また誰かの想いが入って、それがつながって。

想いは見えないし消えてしまうけど、形にした想いは誰からもしっかりと感じられて、誰かから誰かにつながって、受け継がれていくんだな。


生きている意味を考えることがときどきあるけれど、“形”に残すのもひとつの答えかもしれない。命を受け継いでいくことも尊いけど、全くの他人でも誰かの想いを誰かが受け継いでいくのも、すごく尊い。

私も、誰かからもらったコーヒーに、自分の想いを注いで、また誰かに届けられたらいいなぁ、なんて思ったりして。いいドラマでした。

2021年5月25日(火)

No.883

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