語尾に素を隠して

意図的に語尾を変えるときがある、フリーライターのaoikaraです。

活字での話。たとえばメール、たとえばSNS、たとえばLINE。言葉の選び方で、自分の見え方が変わるなと思って、ちょっぴり姑息な気分で語尾を変えることがある。

「今日寒いわー」って打ち込んだのに「今日寒いよね」に変えたり、「最高かよ」「最高だわ」を「最高だね」に変えたり。なんか、ちょっと、語尾でかわいく見せようとしてる。

自分としては、直す前でも感情のこもった語尾なんだけど、ただの活字になってしまうとなんだかそっけない感じがして、感情を込めようとすると、ちょっとだけ自分を良く見せようとしているのか、なんだかかわいらしい語尾を選んでしまう。

でも、変えた語尾は、なんだか自分らしくないと自分では感じていて、自分らしくないまま相手に伝わる。語尾を変えるなんて小さなこと。でも、繰り返し、繰り返していると、だんだん自分の素が隠れてしまって、受け取る印象も変わって、自分のセルフイメージと相手の持つイメージがかけ離れてしまう。

これって完全に自分のせい。語尾を変えてごまかしたイメージのまま伝わっているだけ。小さな姑息さが、自分の首を絞めている。

だから、語尾さえも、ちゃんと自分らしくあろうと思う。そっけなく見えても、粗雑に感じられても、それが私。

言葉選びで自分の印象は良くなるかもしれないけど、でもそれって自分そのものを良く見せているのか、自分ではないものを見せているのか、小さな変化でも大きな違いがある。

だから、私は私らしい語尾を使いたい。素の自分を隠さないで、語尾までも私らしく。

2020年11月28日(土)

No.707

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