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No.582 一世一代の決断を諦めたっていい

割と何度も諦めたことがある、フリーライターのaoikaraです。

しかも、仕方なしに諦めざるを得なかった、ってわけじゃなくて、自分がダメでやり遂げられなくて諦めてしまった、という情けないもので。

いわゆる挫折。ぬるーい挫折。でも、ぽきっとね。太い幹じゃなくて、細い枝をポキポキポキッと何回か折ってる。

今やっていることは少しずつ太い幹になればいいなと思うけど、いつまたポキッとなるかなっていう怖さもありながらやってる。それ以上に自分がやりたいと思って、やりがいを感じていて、しんどいときもあるけど楽しいと思えるからこそ、ほとんど首なしニックみたいにギリギリ大丈夫で続けられているんだろうな。

続けている理由としてあるのは自分だけでなくて、関わっている人たちにもね。そばにいてくれる家族や、仕事を依頼してくれる人たちや、SNS上だけどつながりのある人たちの信頼を大切にしたいなと思う。そのためには、簡単にポキッとするわけにはいかないな、と奮い立たせている部分もある。


何かを諦めたり、挫折したり、何もできなくなってしまったときには、当然誰かしらや何かしらに迷惑がかかるんだよね。私も、何度もポキッとやってきたってことは、そのたびに絶対に迷惑をかけてしまった。

申し訳ないなと思う。ときどき思い出して、ものすごく心苦しくなるときもある。自分ではない誰かに迷惑をかけてまで、自分を大切にしたかったという決断が情けないなと。惨めだなと。ものすごく怒られたって、責められたって、仕方ないよなと思う。


でも、今もし昔の私と同じように、「ああ折れてしまいそうだ」と、「全部投げ出したい」と追い詰められている人がいて、逃げ場を失ってるなら、「諦めたっていいんだよ」「逃げたっていいんだよ」と言いたい。

それを「責任感がない」「周りの迷惑を考えなさい」と言う人はいるし、それも当たり前の感情だと思う。全て投げ出された側としては、たまったもんじゃない。

自分が放り出されてしんどい思いをしたからこそ、自分は相手に同じことをしたくないと考える人もいる。その気持ちを理解できるからこそ、逃げず諦めずにいる人もいる。逃げて諦めてしまって、自分を責めてしまう人もいる。

だけど、それでも逃げ場がないなら逃げよう。諦めよう。あなたがいることの方が大事。誰かよりも自分を大切にした決断は、自分はなんて惨めなんだと責めたくなるけど、でも自分が大事。あなたが大事。相手のことまで考えられるようになるのは、まずは自分のことを考えられるようになってからだよ。

ある人が一度逃げてしまったとき、「責任感がない」と責める人がいて、私はなんだか怖くなった。だって、その人がいるだけで、いてくれてよかったと思ったから。限界を超えていなくなっていたら、もう言葉さえ届かなくなるよ。だから、無責任だとしてもよかったなと思ったの。そんな声は全然大きくなかったけど。

でも今、「なんとかならなかったのか」という声を見ると、なんとかならない社会にしていったのは、たぶん私たち一人一人の言葉だったり、目線だったり、行動だったり、それこそ「逃げるな」「諦めるな」という風潮じゃないかとも思ってしまう。

「逃げないこと」「諦めないこと」もまた美徳ではあるし、必要なことだとも思う。でも、強制された圧になってしまうと、押しつぶされてしまう。


私も、声を大にして言えることじゃないし、とても情けないけど、一世一代の決断をしてあっさりと諦めてしまったことがある。「私はこの道に決めた」「たとえ挫折しそうでも手を貸さないで」と大見得を切ったくせに、あっさりダメになってしまった。

そんな、決断をした自分が恥ずかしい。成し遂げられなかった自分が恥ずかしい。迷惑をかけてしまって申し訳ない。だからってどうすることもできないし、結局まだずっと迷惑をかけてしまう。本当に本当に自分が嫌。

でも、私はなんとか私でいたし、私が存在したし、だから今もいる。あっさり書いたけど、何年もかけてようやくね。私がかけた迷惑とか全然チャラにならないけど、それは背負って生きていくけど、生きてる。

それからもたくさんの失敗をしたけれど、いろんな経験があって、いろんな出会いがあって、やっと今の私にたどり着いてる。何度も何度も何度も諦めて、ダメになって、それが今の私を作ってる。今の私は、私でよかったと思ってる。そうは思えなくても、今日食べたものがおいしかったとか、そんなことの幸せで十分にいいと思う。


だから、ときどき「諦めた」と言ってくれる人がいて、わざとおちゃらけて見せて責められてるときもあるけど、私はとても勇気のあることだと感じる。

何かを一貫して続けている人も立派だけど、全ての人がそうできるわけではないし、そうではない方法を模索していって見つけるまでに時間がかかる人もいる。そのタイミングが人それぞれ違うだけで、自分なりの方法にたどり着くまで「諦める」ことはよくあると思う。

もちろんやる気がないとか、誠意がないとか、それはそれでどうなのと思うこともある。でも、本当にやる気がないのかやる気が出せないのか、誠意がないのか誠意をどう見せたらいいのかわからないのか、まで考えないと。もしかしたら、追い詰められてるからできないのかもしれない。

だから、追い詰めて逃げ場を失わないように、「諦める」や「逃げる」も一つの選択肢だよと、思っておきたい。

2020年7月24日(金)

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