こんな気持ちは一生わからない、と思っていた気持ちになった

日々変化している、フリーライターのaoikaraです。

前も変わるとか変わらないとか、そんな話を書いたな。

「絶対にこれだけは変わらない!」と思っている自分の自分たる軸みたいな、核みたいなことも、あっさり変わってしまうこともある。経年変化で、ゆっくりじっくり変わっていくこともある。

どうやらそう思う人もいるらしいが、私にはきっとこんな気持ちは一生わからないんじゃないか、と思っていた気持ちになったこともある。

具体的にいうと「年齢を気にする」とか、「結婚したいと思う」とか。自分がそうなるとは思っていなかったけど、現に今年齢を気にすることがあって、結婚したいと思っていて、焦りと「焦るとかじゃないよな」って気持ちが交錯して、自分が何をすべきなのか模索してる。

絶対に遭うだろうことを理解していても、いざ実際に遭ったら戸惑って、また新しい感情が生まれることもある。これは、今まで体感したことがない気持ちだ。

それがつらく、苦しく、悲しいことであるときでも、逆に楽しく、うれしく、幸せであるときでも、どこか客観的に「今、私は新しい気持ちに出会ってる」と感じる。忘れないでおこうと、私の場合は何かしら“書く”ことにつながったらいいな、と観察しているような気分のときもある。

「こんなことって本当にあるんだ」「こんな気持ちに自分もなるんだ」そんな、新しい体験。新しい体感。初めて取り組むことはいつだって期待と不安があって、その両方を“気持ち”でも感じているのかもしれない。

全く同じ自分であるはずなのに、少しずつ変わってしまう。過去の自分が信じられない今の自分がいて、むしろ今の自分は過去の自分を完璧に理解できなくはなっている。他人のように。

もしかすると過去と、今と、未来の自分は別人なのかな。毎日毎日、いや一秒ですら私は新しい私になっているのかもしれない。あらゆる細胞が死んで、新しく生まれているのだとしたら。なんて、どこか聞いたことがあるようなフレーズに実感まじりで納得する。

だから、「こうなりたい」という漠然とした思いはあるけど、この先本当に自分がそれを望むのかは、全然わからないよなと思うわけで。望みを叶えるのが幸せか、そうでなくても幸せになるかもしれないし、逆もあるかもしれないし。

全て「わからない」よね。私は「わからない」未来が苦手。境目のわからない道を歩いているみたいで、すごく不安に感じる。先行きはある程度、いやだいぶしっかり見えていた方がいい。

でも、私の方が「あ、別の道を歩こう」と思うわけで、「道じゃないところにも行ってみよう」となるかもしれなくて、道の方こそ「歩くんじゃなかったの!?」ってなるわけで、全部がそう。

私が私でいるというのは、果てしなく難しいことだよね。だけど、違う私になるたびに、いろんな私を経験してきているから、どの私にも寄り添えるようになりたいな。

新しい気持ちに出会うというのは、理解できることが増えたってことだから。自分が新しくなると、過去の自分が信じられなくなって、なかったことにしたくなるけど、そうじゃなくて。過去の自分を理解できなくなるんじゃなくて。

客観的にでも「こうだったよね」という気持ちは残しておけば、どんどん理解が広がってく。そうしたら、自分じゃない、自分とは違ういろんな人のことをもっと知れるかも。もっと違いを楽しめるかも。

人はみんな違ってて、それが面白いとわかっていながら、その違いに傷ついたり拒絶してしまったりする自分もいて、だんだん理解できなくなって、自分が生きやすい範囲を狭めるんじゃないかって最近思ってた。

自分が変わるたび、変わったところだけに限定するんじゃなくて、理解を広げていけばいいのかな、と書きながらたどり着いたかな。

とはいえ、言うは易く行うは難し、思考だって行動だからすぐにはなかなか。でも、考えることからは始められる。

今日とは違う私も楽しくね、私とは違う誰かにも寄り添って、それは理想だけど、変わることを恐れないでいようかな。難しいよね、って保証かけさせて、ね。

2020年9月16日(水)

No.635


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