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自分の頭の中のものを形にできるなんて、素敵すぎるじゃん

クリエイティブに憧れる、フリーライターのaoikaraです。

0から1を作れるってカッコイイ。たとえば絵を描けるだけでもすごい。自分の頭の中にあるものを取り出して、誰もがわかる形にするのがクリエイティブだと感じる。

私も文章は書く。言葉は限りなくあって、いくらでも膨らませられる。いろんな世界に連れて行ってくれる文章はクリエイティブだと思う。文字は2次元のはずだけど、3次元的にイメージが広がって、時を超えていくという意味では4次元的でもあるかもしれない。

でも私の文章はまだまだ平面的で、立体的なクリエイティブさはないなぁと自分で思う。


最近ハマって観ていたのが『ソーイング・ビー』というイギリスのテレビ番組。裁縫の腕前を競う、バトル形式の番組だ。1週ごとに①型紙通りに作る、②リメイク、③テーマに合わせたオリジナル服を作りという3つの課題が与えられる。毎週脱落者が出て、最終的な優勝者を決める。

裁縫もまたクリエイティブだ。私も小さい頃に母に教えられて、刺繍やら人形の服やらぬいぐるみやら作ってみたことはある。でも大きくなってから自らやろうとは思わなかった。今はボタンを縫い付けられるか怪しいし、ミシンに関しては全く使えない。

そんな私だけど服は好き。見るのも、着るのも、そして作られていく様も。ファッション関係のバトル番組としては、デザイナーたちがテーマに合わせて服を作る『プロジェクトランウェイ』や、その後続のAmazonオリジナル番組『メイキング・ザ・カット』も好きで見ていた。これはアメリカの番組。

『ソーイング・ビー』も同じような番組かな、と思っていたけど少し違っていた。まず出演者はデザイナーではなく、アマチュアの裁縫好き。趣味で裁縫が好きという一般の方たちで、ヨガ講師に警察官などいろんな職種の人たちがいる。

デザイナーの対決では自由度が高くて全員が全く違う服を作る場合が多いけど、ソーイング・ビーは型紙通りみんな同じ服を作る課題も毎回ある。同じ課題だからこそ、実力の差がわかる。

リメイクやオリジナル服の製作ではデザインの力も求められるけど、基本的には裁縫技術が求められる。縫い目がきれいとか、柄合わせが対称的になっているとか、扱いにくい素材をどう仕上げるかとか、視点がより細かい。


これがとても面白かった。服はいつでも自分が身につけているのに、どうやって作られているか、どう縫われているかなんて考えたことがなかったから、とても興味深かった。普段着ている服って、もんのすごく考えられて形作り、縫われているんだと実感できる。

あとは回が進むにつれて、服の個性だけじゃなく、出演者たちの人間味も見えてくる。みんなよくジョークを飛ばすし、見ているこっちも思わず笑っちゃう。みんな「裁縫が好き」という共通点があるから、自然と仲良くもなる。困っていたらライバルだけど助け合う。

過剰な演出がないのもいい。バトル番組はどうしてもドラマチックにしたくて、誰かが別の誰かを下げたり、バチバチのライバル関係を作ったり、今でいうとSNSで話題になるとか炎上するとかを狙っているのかなって演出も感じられる。

そりゃあ人間だから合う合わないはあるし、バトルで常に評価されて順位もつけられるからピリピリもするし、みんな他の人を鋭い目で見ているのは事実。でも編集や演出の技術も大きいだろうと思う。印象操作までいかなくても、“ドラマチック”にはしている。

だけど「ソーイング・ビー」には“ドラマチック”な演出が、まあほぼない。人の個性は見せる。それぞれ個性があって、魅力的に見える。

できないと嘆いたり、完成できなかったりする人もいる。焦ったり、追い詰められたり、泣き出したりしてしまう人もいる。でも、ただそれはそのときの感情で、できなかったというだけで、その人の人格にまで話は及ばない。裁縫技術の話なだけだから。

演出に頼らず、純粋に裁縫の魅力を伝えてくれるのも番組が好きな理由の一つ。


でも残念なことにAmazonプライムで配信されているシーズンは全て見終えてしまった。軽くロス状態。早く次のシーズンを追加してほしい。

私も新しいことを始めてみようかと思って、自分の裁縫道具に手を伸ばしてみたけれど、実践はしなかった。ダーッと勢いよくミシンをかけていく姿にも憧れるけど、自分がやろうとするのはまた違う。

あんな風に頭の中で思い描いているものを形にできるのは、なんて素敵なんだろう。憧れるし、なんというか美しい。表現として正しいかはわからないけど、すごく美しいなと思った。

クリエイティブへの憧れはまだまだ尽きなさそう。

2021年5月22日(土)

No.880

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