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仲が良いとか悪いとか誰が決めたの

激しい口論の末、互いに消耗し、仲直りするでもなく日常がゆるやかに戻っていく、フリーライターのaoikaraです。

私と家族の話。一方がもうどうしようもないときは、もう一方は支えられるけど、お互いがどうしようもないときって、ただひたすらに消耗し合ってしまうときがある。

マグマのように煮えたぎって、もう一生冷めないわと思っていても、年々忘却の才能だけは研ぎ澄まされていくから、なんだかんだ日常に流れて、別に仲直りするわけでもないけど元の仲に戻る。

全ての家族が同じではないし、全ての人間関係でも同じではないし、“仲”の作り方もこわれてしまうきっかけも、全ての人で違うから、あくまで私と家族の話だけれど。


「家族と仲が良い?」と聞かれたら、うーんとは思う。別に仲が悪くはない。それぞれの家族で距離感は違う。話せば波長は合う。価値観も合う。深いところで血縁だけど、結局は他人なので、わかり合えないこともある。

「仲が良い」と言われるのも、「仲が悪い」と言われるのも、しっくりと来ない。私と家族の関係で、それ以上でもそれ以下でもないと答えるしかない。


きっと別の人に、否定的な意味で“仲”について言及されたらもやっとする。「仲が悪い」は悪い意味で使われることが多いし、「仲が良い」も良くない意味で使う場合もある。

“仲”って曖昧だし、その人たちや状況によって変化していくものだし、定義が難しい。第三者から見た客観的な視点で「こう見える」というのはわかるけど、定義を論じられるのは違和感がある。

強い言葉で言っちゃうと「ほっとけ」。人と人の関係なんて当人たちにしかわからないし、当人たちでもわからないかもしれない。


家族に限った話ではなくても、人との関係性は流動的で、仲は深まったり離れたりする。お互いにとってちょうどいい距離感でいられることが「仲が良い」で、そぐわないと「仲が悪い」のかもしれない。でも、それも結局は私の視点でしかない。

だから、仲なんて評価しなくていい。ほっとけ。

2022年6月24日(金)

No.1267

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