見出し画像

私が日本語を好きな理由

私は日本語が好きだ。

私は日本人で母国語が日本語で、外国が堪能なわけでもないから、世界中の言語と比較して「日本語が素晴らしい!」のかどうかはわからない。でも、私は日本人として、日本語が好きだなと思う。


日本語の“曖昧さ”が好き。

はっきりと言わない。悪く言えば回りくどい。良く言えばいろんな解釈ができる。想像力をかき立てられるような。

きっぱりと言い切ってしまわず、回り道をすることによって、相手を思いやる気遣いのようなものもある。後から思い出すとあれは…というようなぴりっと効いたスパイスのような皮肉もある。

ストレートなパンチの方が伝わるのだろうけれど、ボディーブローなのか後ろに隠れているのか、直接的ではないのが日本語のまどろっこしさであり、魅力だと思う。私のこの文章も、どれだけ遠回りでまどろっこしいことか。


日本語の“表現の多さ”が好き。

同じ意味合いでも、全く違う表現ができるのも日本語の面白さだ。雨が降るのも、ザーザーと降るのか、パラパラと降るのか、全く違う。

同じ言葉でも、書き方で言葉がまとう雰囲気は異なる。「かわいい」のか「可愛い」のか。「悲しい」のか「哀しい」のか。「よろしくね」と「よろしくネ」と「ヨロシクね」と。全部違う。

意識か無意識か、人が選ぶ言葉に気づくのも、また面白い。


日本語の“独自性”が好き。

海外にはなくて、日本語でしかない言葉がある。もちろん海外にはあって、日本語ではない言葉もあるだろう。そこには、それぞれの国のアイデンティティーがあるように思う。その国が大切にしているものがわかる。

「いただきます」「ごちそうさま」は有名な、日本語にしかない言葉。東京オリンピック招致で有名になった「おもてなし」もそう。

「木漏れ日」も海外にはない言葉らしい。木漏れ日を描いた絵画はヨーロッパにあるはずなのにね。その感覚はあるはずだけど、一言で表す言葉はないという不思議さ。そして、日本語では表現することができる面白さ。

そこに日本独自の思いを感じるから、日本人として共感できて、なんだかドキドキしてしまう。


日本語の“多様性”が好き

英語で言うところの「I love you」。夏目漱石が「月がきれいですね」と訳したなんていう話があるけれど、日本語でどんな訳し方ができるだろう。言う人によって、言う相手によって、まったく違う言葉になる。

大人の女性がロマンチックに恋人へ愛をささやくなら、「あなたを愛してるわ」。元気いっぱいな男子学生が大胆に告白するなら、「俺はおまえのことが、好きだー!」。年老いた老人が同じく老いた妻につぶやくなら、「来年も同じ景色を見に行こう」かもしれない。

私という意味の「I」にはも、私・僕・俺・わし・我輩・俺様・自分なんていろんな言葉を使う。とても細やかで多様に感じる。


日本語の“自由さ”が好き。

日本語はとても自由。どんどん変化していく。流行語・新語が毎年発表されるけど、新しい言語がどんどん出てくる。女子高生だって、毎年のように流行る言葉が違って、面白い新しい言葉をたくさん使う。

いかにかっこよく、いかにおしゃれに、いかに洗練されて、いかに新しい響きを求めて、みんな日本語を研究する。時代によって移り変わる。意味や解釈も変わる。

それだけ自由ってことで、進化が止まらない言語だとも思う。


他の国の言語にも興味があって、外国語をしゃべれたらまた世界が広がると思うけれど、やはり母国語として染みついた言葉は特別だ。伝えたいことを伝えられるのは、やっぱり日本語だから。

私はライターという仕事をしている。まさに言葉を扱う仕事。50音を組み合わせてつむがれるのは無限大。私が届けたい思いを言葉にできるように、これからも日本語を大切にしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?