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なぜか出ている涙は、過去に我慢した涙

なんでもないときに涙が流れて、私が一番「なんでだろう」と思っている、フリーライターのaoikaraです。

今日も家事をしながら、「まだこれからがんばらないとな」と考えていたら、ふいに泣きそうになった。本当に涙がこぼれそうになったわけではないけど、意図せず泣きそうだった。

たまに、なぜかよくわからないけど、ものすごく落ち込んでしまうときがある。誰かに見せるわけではなく、ただ一人で涙が流れてしまう夜もある。

「大事にされたい」「いたわれたい」と思っている。別に、大事にされていないわけでも、いたわれていないわけでもないのに。


きっと、その瞬間に涙しているわけではない。過去に涙が出そうなほど、苦しいとか、悔しいとか、悲しいとか、腹立たしいとかがあったけど、そのときはぐっとこらえて我慢をした。

何度も何度も我慢をして、心が緩んでいるときに、涙になって我慢があふれ出すのだろうと思う。その我慢は「大事にされていない」「いたわってもらっていない」という思いと共にあった。だから、「大事にされたい」「いたわれたい」と涙している、のかもしれない。


この間も、意図せずぶつかってしまい、どちらが悪いというわけではないけれど、私の方が軽いケガをして痛がる結果になってしまったときがあった。

予想外の出来事と、思っていたよりも痛みが強かったので、痛みが続く間に目頭がじんじんと熱くなってきて、ぼろぼろと涙が流れてきてしまった。相手はおろおろとして、「ごめんね」と何度も謝ってくれた。

たしかに痛くて泣いている。わんわんと声を上げているわけではなくて、ぼろぼろと涙だけがあふれてくる。別に泣きたいわけではないのに、涙は止められない。

「ごめんね、と言われると申し訳なくなる」と私は言った。「心配してくれてありがとう。大丈夫じゃないけど、大丈夫」とも。

ぶつかって、私がケガをして、謝ってもらうのはわかるし、理解できるし、受け止めている。だけど、私が泣いているのは痛いからだけではない。きっと、いろんな我慢が積み重なっていた、痛みと共にタガが外れたから、思っているよりも涙があふれて止まらなくなった。

だから、私のあふれる涙の量を見て、そんなに痛かったのかと、申し訳ないと思っている相手を見て、「違うよ。これは今の痛みだけではない、私の中にあったいろんな涙で、あなたは関係ないんだよ」という気持ちになって、「ごめんね」が申し訳なくなった。


宇多田ヒカルさんの「time will tell」を聴きながら、私の涙を思っていた。

2022年4月15日(金)

No.1197


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