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前を向かず、閉じこもってたっていい

夏も終わりを迎えるはず、と信じたいフリーライターのaoikaraです。信じられないほど、暑いけど。

今日は「#8月31日の夜に」のテーマでnoteを書こうと思う。

いつもは夏休み最後の日となる8月31日だけど、もう通常通りの授業が始まっている学校も多い。北海道は毎年そうなんだけどなと、意味を込めた「8月31日」に思うという話はさておき。

それでも今年は逆に貴重な体験で、当たり前の日常こそが幸せで、再確認しながら日常生活を送っている。だから、前を向いて。明るく生きていかなくちゃ…


なーんて、思わなくていいや。


「なんでだよ!」「意味わかんないよ!」「あーむかつく!」

言っちゃえ言っちゃえ。

「つらい」「しんどい」「悲しい」

思っちゃえ思っちゃえ。

前を向きたい人は向けばいいし、向きたくない人は向かなくていい。世の中とか、社会とか、身の回りの人とかは「明るく前向きに」って言うけど、そんなの人それぞれなんだよ。

落ち込んだらとことん落ち込んで、もう恨み言も言いまくって、後ろ向きを極めて極めて、そんで「あーラクになった」って人もいる。

悩みの解決の仕方、心との向き合い方なんて人それぞれで、誰かが言うことは誰かが言うことなだけで、聞くためにあるわけじゃない。なんだったら、私の言うことだって聞かなくていい。私が言いたいから言ってるだけだから。


ずーっと後ろ向きになっていると、そうはいかないと社会から身の回りからお声がかかる。「それで大丈夫?」「そろそろ前を向いたら?」って。でもね、きっとまだまだ後ろ向きでいたいんだよね。心は全然回復していなくて、もっともっと後ろ向きでいたいんだろうね。

でも、「そろそろ前を向いたら?」とか「心を開いたら?」って言いたくなる気持ちもわかる。それは、心配だから。本当に心配だから。ずっと落ち込んでいたり、心を閉ざしたりしているのはやっぱりよくないと思ってしまって、元気になってほしいと思って言っちゃうのよ。

心配が大きくなりすぎると他の感情まで覆ってしまって余裕がなくなるから、きちんと伝わるように整理して優しさを持って伝えるのが難しくなる。だから感情的にもなるし、「いい加減にしてよ!」と怒ってしまうこともある。

でも、決して追い詰めるたいと思って言ってるわけじゃない。「前を向いたら?」と言う人も、優しさからなんだよってのは心のどこかに覚えておいてもいいと思う。

私も逆の立場だったら、ずっと閉じこもっている人に、ずっと後ろ向きな人に、「そうは言ってもさ、そろそろ前を向いたらどう?」とか言いたくなるときあるもん。それは心配もあるし、同じように不安もあるし、しんどいのはみんな同じだよって厳しさもあるから。

その強さが、厳しさが、ずきっと刺さっちゃうんだと思うんだよ。だからこそ負担に感じるし、心配してくれているからこそ応えなきゃと思うのにできないのがつらいって気持ちも、わかる。

もちろん永遠に閉じこもっているわけにもいかないし、社会としてはまだまだ閉じこもっている人には優しくないから、極力閉じこもりながらも生きていく方法をちょっとずつ考えていけたらいいけど、閉じこもっているとそんな余裕もないよね。

そんなとき、こういうことから始めてみたらどうかなという、後ろ向きであることを前向きに捉える提案をさせてほしい。


まず、ずっと閉じこもっている間に、自分が「これはしていてラクだな」ってことをしていたらいいと思う。ただぼーっと動画を見るでもいいし、音楽を聴くでもいいし、寝続けてもいいし、漫画を読んでもいいし、何でも。ゲーム、読書、映画、ドラマ、アニメ、スポーツ、ネットサーフィン…何でも。

いわゆる現実逃避。あんまりよくない意味で使われる言葉だけど、現実がしんどいから逃避したくなるわけだし、心を守るために大切なこと。健康的に趣味を楽しんでいる人もいて、それもある意味で現実逃避。健康的な現実逃避って思ったらいい。

私も閉じこもっている間はニコニコ動画とかずーっと見ていて、別のときはアイドルの動画をずーっと見ていて、もう一生笑えないんじゃないかみたいな精神状態のときも、歪んだ表情でも笑えたきっかけになった。

だからあなたも大丈夫、とかは言わない。それはわからない。私ができるんだからあなたもできる、ってのはわからないよね。できるかもしれないしできないかもしれないし、それは自分のペースでいいし「無理」と思うなら無理にしなくていい。

でも、どんなときでも自分を否定しないでいられる、心の居場所を作っておいたら楽だなとは思う。自分が純粋に「好き」「面白い」「楽しい」と思えることにのめり込むだけで、自分の居場所になる。

しんどいときは心を休められるし、元気になったときはもっと元気をもらえる。そんな自分の居場所、心の居場所があったらいいなと思う。


あとは、時間が解決してくれると思う。時間薬なんて言葉があるけど、もう何も効かないってときは時間に頼るしかない。

ありがたいことに、年を取ると、年々時間が流れるスピードも速くなっている感覚があって、つらいこともどんどん忘れてしまう。つらいことがあっても、時間の流れが速いから記憶の彼方に消えていって、立ち直りも早くなった。年を取れば取るほど、生きやすくなるのかもしれない。

もちろん若いときとは違う悩みも出てくるし、解決するのに長い時間がかかることもある。それでも、容量が限られているらしい脳はつらいことをはじきとばしてくれる。年を取るって悪くない。

とはいえ、今若い人にとっては、「時間が解決してくれる」なんて言われても、「今がつらいんだよ!」って感じだよね。体感としても、10代の頃の一年と、それ以降の一年とでは、1/年齢なわけだから、一年の重みが違う。

若いときであればあるほど、つらいことが長く長く続く感覚があるわけで。ずっとずっとつらいのが続くような気がするのは当たり前だよね。

長い時間、耐える、というよりは、ただただ時間を過ごして待ってみる、という心境でいたらいいのかもしれない。焦りもあるし、「何もしないで今日も終わった。無駄な時間だった」と自分を責めたくもなるし、しんどいけど。

そのとき「何かしよう」と思ったら動けばいいし、「自分はダメだ」と思って立ち止まり続けてもいいし、動けるタイミングは人それぞれだから、自由でいい。

それが一ヶ月か、一年か、もっとかかるかは誰にもわからない。でも、待っている方もつらいから、やっぱり声はかけちゃう。そのときも焦ったり怒ったりしてはいいけど、申し訳ないなと思わなくていいけど、「思ってくれる人がいる」ことはむしろ心の支えにしてもいい。難しいけど。

難しいよ。自分が見えない出口を求められたら、そんなのわかんないって閉じこもっていたくなっちゃうし、どこにあるかわからないんだもん。でも、時間が経つまで待ってみてもいいかもしれない。


あとはちょこっとだけ言ってもいいなら、朝起きて夜寝る、1日3食バランスよく食べる、昼間には太陽を浴びる。規則正しい生活だけは心がける。体に健康的にいるのも大事。

あとは誰かを傷つけようとは思わないこと。こんなときだからこそ誰かを見下さないこと。心の健康のためにね。

でもね、気持ちとしては夜に起きていたいし、昼間は寝ていたいし、食事はアンバランスになるし、太陽なんか大嫌いだと思う。自分が感情的になって誰かを傷つけてやりたいとか、叩いてやりたいとか、見下す気持ちも出てくる。気持ちとしてはね、そうなっちゃう。わかるよ。

でも、まずは自分を大事に。自分を大事にしなきゃ、相手を大事になんかできない。だから、意図せず傷つけてしまったり、悲しませてしまったりすることもある。

でも、最低限、意図的に誰かを傷つけようと思わなければ、大丈夫。心の中では何を思ってもいいし、それを否定しなくていい。肯定してやればいい。どんな自分でも許してあげればいい。

それが一番難しいよね。書いていて、それが一番難しいよって思う。

だからまずは体から。一つだけでもいい。健康的に過ごしてみて心地よくなってみると、心も健康に近づいていくことが多いから。


ここから突き放しちゃうような内容だけど、結局は自分の人生。なんとなくにっちもさっちもいかないときって、「誰かに導いてほしい」って思っちゃうんだよね。腕を引っ張ってほしい、背中を押してほしい。

でも、結局立って歩き出すのは自分だから、「腕を引っ張ってもらった」とか「背中を押してもらった」は、そう行動した自分に対する結果論に過ぎない。

むしろ人生を変えようと干渉しすぎる人ほど怖い。そういう形の優しさもあるけど、その人の人生の一部だと無意識に思われているんだよね。そうじゃない、自分の人生のはずだから。

だからこそいつまでも立ち止まっていてもいいし、前を向いてもいい。自分が選んだ自分の人生。選んでなくても自分の人生。時間が経つのは待ってもいいけど、導くものは待っても来ない。なんだかんだ、導くのは自分。

間違った道でも、何度もやり直しはできる。許してくれない人が多い世の中だけど、全員じゃない。誰だって許されていいと、個人としては思う。


何が言いたいのかっていうと、誰かに言う「こうしなければならない」はあくまでその人の気持ちであって、自分には実はあまり関係のないこと。それが自分にとってもしっくり来るなら聞けばいいし、ちぐはぐだなと思えば聞かなくていい。何度も言うけど、もちろん私の言うことも聞かなくていい。

ただ、あなたの心はあなたのもので、いつだって自由だよってこと。前を向いても、向かなくても、後ろ向きでも、全力でも、無気力でも、開放的でも、閉じこもっていても、自分の心が居心地いいならそれでいい。

気張ってもいい、悲しんでもいい、笑ってもいい、泣いてもいい、無理に「いい子」になる必要はないよ。「聞き分けいい子」になる必要もないよ。あなたがあなたでいるだけで、それだけで大正解。

そんな、自分だけの自分でいられたらいいなと思う。誰にとっても、ね。

2020年8月26日(水)

No.614

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