「これくらい」でやったら、結果も「これくらい」
ついラクな方選んじゃう、フリーライターのaoikaraです。
いきなり本題から離れた蛇足から。noteで7,000回のスキをしてもらいました。ありがとうございます。
蛇足おわり。はい本題。
いろんなことに「これくらいでいっか」と思っちゃうときがある。軽んじているという罪悪感はあるから、心の中で言い訳をして。自分が万全じゃないし、忙しいし、もっとやるべきことがあるしとか、正当化できるような理由をね。
でも、「これくらい」の気持ちでやったことは、結果だって「これくらい」でしかなくて、人としても「これくらい」という評価がされる。当たり前。だって、「これくらい」でやっちゃってるんだもん。
結局は自分にツケがくる。で、後から取り返そう、巻き返そう、いい加減なことを整えるために労力や気力を使って、結局ラクした分は自分に返ってくるんだよね。後からつらくなるんだから、今できる大変さはやっておいた方が、絶対後でラクだなぁと思う。
元々、夏休みの宿題は7月中に全て終わらせるくらい、大変さを前倒しにして、後からラクしたいタイプだから、頭ではよーくわかってる。性格的にもそう。
だけど、全速力しすぎて「あーもう二度と走らない」ってなっちゃうのがダメでね。ペース配分考えて、ちょうどいい速度で走ったり歩いたりしたらいいだけの話なのにね。そこが不器用だし、課題なんだなと思う。
それに「これくらい」でやったことより、自分のためだったとしても「これこそは」という思いでやったものって、届く。多くは届かなくても、深く届く。正確には、届くときもある。届かないときの方が多いくらい。
いい加減にやって結果を残せるときもあるし、それは良いようにも悪いようにも運と縁がある。だけど、届けたいと思って、届いたときはうれしい。
私が私自身のためにやったことだけど、それは本当に自分がどうしたらいいのか悩みながらあらがいながらやってきたから、それは血が通っていて、その体温を感じてくれる人がいるんだよね。それを知ったとき、本当にうれしかったし、ああよかったなと思った。苦しんだのも、悪くないなと。
そのおかげなのか、今までやってきたことは間違いじゃなかったんだと思えて、心がだいぶラクになった気がする。気分がよくなったのは、体調の変化とかほかの要因があるにしてもね。
でも、同時に「これくらい」って行動もやっちゃってるんだよね。完璧主義でいようというのとは違うけど、誠意があるならそこはクリアしなきゃねってことはやったいかないと。信頼を失っちゃう。ダメダメ。
「これくらい」じゃなく、誠意のある行動を取って、ときには「これこそは」と自分が思える血の通ったものを届けていきたいな。
2021年2月12日(金)
No.782
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