悪夢にうなされたら抱きしめて

ちょっと元気になった、フリーライターのaoikaraです。

今日は会話も楽しくできて、今のところ過食にも走らず、穏やかに過ごせてる。よかった。人生のハードルを低く設定して、こんなことでも自分を褒めたい。

少なくとも、頭にもやがかかったような状態ではないかな。綱渡りしている気分で、すぐにバランスを崩しそうで、傾いたらたぶんまた過食してしまうと思う。だから、あまり自分を信じすぎず、期待しすぎず、これくらいが私なんだと思って。

体に増えた脂肪分だけ、自分のこれまでを感じてしまうのが憎いけれど。肉だけにね、と寒いギャグを言えるくらいは今日も元気。


感受性が敏感になっているのか、ふとしたことに感情があふれ出しそうになる瞬間がある。ツイッターで話題になる、この動画を見たときもそうで。

悪夢にうなされている子猫を母猫が抱きしめる動画。母猫がもう自分の体へ必死に抱き寄せて、ぺろぺろと子猫を舐めている姿を見た瞬間、ぶわっと涙が出てきた。

どうしようもない、どうもしてあげられないけど、せめて恐怖から抜け出せるように救い出すように力強く抱き寄せて、ここにいるよと舐めているのに、すごく強くて深い愛を感じて、うわっと泣き出しそうになってしまった。

なってしまった、と書いているのは、その後までずっとわんわん泣かなかったから。急に涙があふれてきた自分にびっくりして、客観的に「えっ、これで泣いてる?」という自分の声で冷静にさせて、ぽろぽろぽろくらい涙がこぼれただけだった。

今見ても、泣き出すことはない。始めて見た瞬間と同じ気持ちにはならない。


昨年は、悪夢にうなされて、そのまま夢から覚めないままいってしまった人たちがたくさんいた。そのとき、私はあまりの事の大きさに、自分が何もできるはずはないのに、その人たちのことをたくさん考え続けていた。

今でも、いないんだと思い出すたびに胸がきゅっと締め付けられて、現実を直視しようものなら感情があふれ出してしまう。だから、その一歩手前でぐっとこらえて、別の方を見る。

きっと私がそばにいても、何もできない。悪夢を見ないようにはきっとできない。でも、わからないけど、ただそばにいて、ここにいていいよと、私はここにいてほしいよ、無理は言わないけどと、ただ抱きしめたいなと思った。全く関係のない私が言うことでもないんだけど。


ここ最近、私は悪夢にうなされているようで、起きていてももやがかかったようで、ずっとずっと悪夢の中にいるみたいで、誰かが垂らしてくれている糸にぶらさがって、なんとか奈落には落ちないでいた。

母猫が子猫をたぐり寄せて抱きしめる姿を見て、ああ私も抱きしめられたいなと思ったんだろうな。心も、体も。ただ無条件に抱きしめて、ここにいていいよ、ここにいてほしいよ、私はここにいるからねって、思いを感じたかったんだなと。

自分が抱きしめられたかったという寂しさなのか、自分を子猫に重ねた安心感なのか、たぶん両方かも。

人生を語るにはまだ経験が浅いけれど、今わかっている実感として、人間が根源的に求める愛って、たぶんそういうことなんじゃないかと思う。

2021年1月30日(土)

No.769


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?