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No.307 信じたいものを信じてしまうけどあーあ

有名な人が悪いことをして、まあ犯罪とか不道徳なこととか、必ずかばう人がいる。

いろんな理由はあれど、おそらくかばいたくなるのは、その人を「好きだから」。恋愛的な意味ではなくて、その人と付属するいろんなことを好意的に思っているから、と私は思う。

だからギリギリまで「そんなはずない」「信じられない」と言う。決定的な証拠が出てしまっても「そんなに責めないで」「それでも好きだから」「待ってる」と迎え入れてくれる。それ以上に「むしろ相手が悪い」と被害者を責めるのは違うと思うけど。

端から見ると、第三者だとかその人を好いてない人からすると、誰であろうが悪いことは悪いことで、それ相応の償いを受けるべきだ、みたいに感じる。私が肌で感じる世間的に。そして、私自身も。

でも、いざ自分が好意を持っている人が何か悪いことをしでかしたら、どんな風に思うんだろう、なんて想像したことがある。すごくショックで、それでも受け入れてしまうだろうな、でもダメなことはダメだな。そんな風に考えた。

で、最近あったわけだ。悪いことが。私は割とその人を好意的に見ていたから、今まで悪いことをしてきた人たちと比べて、心の中で責める気持ちがかなり少なかった。

「そうだよね、許されないよね」と思いながらも、「でもなぁ、この人を見られなくなるとしたら悲しいな」という気持ちの方が強かった。社会的に抹消されてしまうとしたらとても残念だな、そこまでのことかなと思ってしまった。

でも、たぶん別の人だったら“そこまでのこと”だと余裕で思ってしまう。ここには「好きだから」フィルターがかかってる。

って思ってたけど、嘘吐いてたってなっちゃうと話が違うよね。私の中でも「残念だな」という気持ちに変わりつつある。

悪いことをしたら「ごめんなさい」ってすぐに認めるのは難しいけど、そうするのが間違えてしまったことの誠意なんだよね。というのを自分のときに棚に上げないように、心しておこう。


2019年10月24日(木)

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